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2006年12月12日 (火)

幸せは経験するものではなくて、あとで思い出してそれと気づく。05年1月16日

今日は私の誕生日。PCを入れるとハッピーバースデイの表示。メールを開くとグリーティングカードが届いていた。そのニフティからのグリーティングカードには「幸せは経験するものではなくて、あとで思い出してそれと気づくものだ」と、あるピアニストの言葉があった。更に、ささやかなお祝いの言葉が続くが、総て機械発信なのが少し寂しい。

10年前の今日は絵本「父は空母は大地」の総仕上げの最中だった。寝ないまま翌17日、突然起こった大震災のニュースを気にしながらパロル舎へ出かけ納品した。あの年は更にオームサリン事件が続き、激動の1年だった。
今、ようやく神戸は復興したが、被災者の心の傷は少しも癒えていない。高校まで神戸で過ごした知人は今も震災前の風景を思い出し悲しくなると話す。

母は昨夜下痢が続き一睡もしていない。しかし、流行のノロウイルスではないようだ。大事を取って散歩は休んだ。散歩に連れて行くようになって体調不良を理由に休むのは2度目。若い頃なら、少しくらいの体調不良は気にはしないが、老人ではそうはいかない。それをきっかけに一気に崩壊してしまうことが多い。椅子に腰掛けている母の足元に電気あんかを入れて暖かくしてある。母は寝不足で半分居眠りしながらテレビを見ている。体調は意外に良いようで一安心。明日は天候も回復して散歩へ出られるだろう。

午前中、買い物へ一人で外出した。玄関を開くと冷たい風雨。雲は激しく流れ、大気に早春の気配を感じる。遠く見える荒川の河川敷の濡れた枯れ芝生が心が洗われる程に美しい。風雨の浮間橋を渡りながら、ふいに前述の「幸せは経験するものではなくて、あとで思い出してそれと気づくものだ」を思い出した。早春の記憶の向こうに確かに幸せはあった。

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