飾り職のYさん 2004年10月31日
昔の仕事仲間のYさんが遊びに来た。
その頃、私は彫金で暮らしていた。Yさんは私より5歳年上の飾り職で、よく一緒に飲みに行った。
飾り職とは、金属を叩いて伸ばしヤスリで仕上げ、ロー付け溶着して装飾品を作る仕事である。今は、主に指輪やブローチを作っているが、本来は御輿や家具の飾り金具等を作る仕事で、呼び名の由来になっている。
貴金属装身具制作では、鏨で地金を削り、宝石をセッティングする仕事がある。仲間内ではそれを彫り屋と呼んでいる。分類が難しいのは象眼や肉彫りだが、鏨を多用するので彫り屋の範疇に入れている。金型屋も彫り屋に含まれている。金型屋はプラスチックの金型から自動車のボディの金型までハイテクに進化した。
私の仕事は彫り屋だった。彫りの師匠は昭和の名人と言われた人だ。その師匠の師匠はフランス留学してヨーロッパの彫金技術を会得して日本に伝えた。私が彫り屋の時身につけた唐草模様の技術は、今も衣服等の模様を描くのに役に立っている。相当に複雑な模様でも、下描きなしでサラサラと描ける。
Yさんのお父さんは日本橋の生まれで、Yさんの飾り職の師匠でもある。
昔、馬金と言う噺家がいたが、お父さんは馬金に雰囲気が似ていた。江戸っ子は総てベランメーと思われがちだが、本当は違う。私の回りの江戸の老職人たちは洒脱で粋で、話し方は丁寧だった。最近、そのような江戸の雰囲気を残す老人がめっきり少なくなった。
訪ねて来たYさんは、最近仕事が少なくなったとぼやいていた。今は職人の世界にもハイテクが取り入れられ、資金力の無い職人さんは生き残れない。たとえば、宝石の入った指輪を修理する時、昔は中石を外し、修理した後再び中石をセッティングした。それが今では、高価なエメラルドが入った指輪でも、中石を外すことなく、ピンポイントでレザーで溶接ができる。
私が仕事を離れてから、職人の世界もすっかり変わってしまった。
4年前にYさんのお父さんは亡くなった辺りから、急速に職人の世界は変わった。安物は海外生産にシフトし、高級品は海外有名ブランドに蚕食された。Yさんの仕事も、今は直しばかりで、新しく制作することはなくなったようだ。
Yさんと母と3人で話していると、昔の活気のある職人の世界が蘇り、懐かしくなった。
別れ際、Yさんは「今度は家に遊びに来てよ。」と何度も言ってエレベーターに消えた。
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