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2007年1月31日 (水)

人は、話すことで人としていられる。2005年10月1日

静かな自然は本当に素晴らしい。もしかすると、今この時が最高の幸せなのかも知れない。そうだとすると、それはあまりにも簡単でありふれたことだ。多くの人はすぐ傍らで手に入る大きな幸せを見逃しているのかもしれない。

自然公園の帰り道、緑道公園を老人が小桜インコを肩に止まらせ、インコに何か話しかけながら散歩をしていた。話すことは人が人としていられる最少の条件である。車椅子の母には町中で誰彼と無く話しかけてくれる。母は声をかけられ、話すことで笑顔が増えた。笑いは免疫力を賦活して、ガンすら押さえ込む。母が生きながらえているのは、散歩道で交わされる挨拶によるものかもしれない。

母が倒れ車椅子生活になってからそろそろ4年目に入る。そして、ガン手術をしてから3年目に入る。手術後の母の弱り具合から1年はもたないと思っていたが、奇跡的に今も元気に生きながらえている。

10月2日

今日は真夏に戻り、大汗をかいた。自然公園で、気温が32度を超えたと老人たちが話していた。
古民家前の田圃ではボランティアの親子達が稲刈りをしていた。猫の額のように狭い田圃なので、ものの30分もかからず稲刈りは終わった。稲は田圃脇の木立に作られた稲架(はざ)に並べて干された。この一角だけを見ると昔の農村風景で、とても東京とは思えない。現在の農村では機械化が進み、コンバインで刈り取られた稲は瞬時に脱穀されて倉庫に運ばれ、自動乾燥される。稲藁は稲刈りと同時に刻まれて田圃へ帰される。だから、このような稲架(はざ)は今は見られない。

乾いた稲は足踏みの脱穀機にかけられ、同じく昔の木製の唐箕(とおみ)で風選することになっている。
稲刈りに見とれているとIさん夫妻が声をかけてきた。日射しが強いので、古民家の裏手へ回り納屋の軒下に腰掛けて話した。そこは風が抜けて心地よい。母とIさん夫妻は母屋の茅葺き屋根を見上げながら、いい感じだとしきりに感心していた。

私は漁師町育ちで、納屋軒下の石灰で固めた土盛りの感じが懐かしい。私達悪童達は遊び疲れると、冷たい乾いた土に腰掛けて、悪戯の相談をした。
時折、遠くから砂利道を土埃を上げて自動車がやって来た。私たちは小さな子に命じて竹竿を持ってこさせ、急いで道路に並べた。タイヤが竹竿をふむとパンパンと景気良く弾ける。
「パンクだ。パンクだ。」とはやし立てると、運転手はドアを開けて怒鳴った。私達はクモの子が散るように逃げた。あのドキドキ感は楽しく、今も鮮明に覚えている。
母とIさん夫妻が昔話をしている横で、私はそのような子供時代を思い出していた。

帰りは駅前に出て、赤羽市場で鮭の白子を買った。それから、マツモトキヨシで口内炎の薬を買った。暑いので店内の冷房が心地よい。仕事で少し寝不足になり、左唇の内側にアフターが出来ている。ステロイド剤を付けておくと一晩で治る。

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