猫又坂。土地の印象は接した人によって作られる。2005年10月5日
母は通所リハビリへ行った。
ポスター原画の納品の前に上野歯科医院で歯のクリーニングをした。それから、自然公園を抜けて三田線蓮沼駅へ向った。丁度お昼時で、自然公園内は人影が無かった。公園歩道脇のビロードモウズイカに前日作った名札を下げた。
公園へは弁天通りから裏門へ入る。何故か、いつもと公園の印象が違う。緑道公園の長い緑地と繋がっているように感じていた公園との違いだろう。
すぐに通り抜けた公園は狭く感じた。いつもなら母を歩かせたり、休ませたりしたり、顔馴染みと出会わったりして時間がかかるので広く感じる。母が逝き、一人で公園を訪ねるようになれば、そのような印象に変化するのだろう。風景や土地の印象はそこで接した人によって作られるもののようだ。
地下鉄三田線千石駅で下車して大塚3丁目にある印刷会社へ向かった。忍ばす通りを氷川下交差点へ向かって下る。車が騒々しく行き来して落ち着かない。交差点手前に「猫又坂」の碑文がある。・・・むかし、この辺に狸がいて、夜な夜な赤手拭をかぶって踊るという話があった。ある時、若い僧が、食事に招かれての帰り、夕暮れどき、すすきの茂る中を、白い獣が追ってくるので、すわっ、狸か、とあわてて逃げて千川にはまった。そこから、狸橋、猫貍橋、猫又橋と呼ばれるようになった。猫貍とは妖怪の一種である。・・・騒々しい今の風景からは当時のススキの原は想像しがたい。赤手ぬぐいを被って踊る狸が怖いとは、多分、江戸人の洒落だろう。踊っている狸の可愛い姿を想像して可笑しくなった。
原画を担当者に渡して丸の内線茗荷谷へ向かった。筑波大付属小学校の緑溢れる裏手の坂を下る。覆い被さるような巨木の霊気が清々しい。駅にはお勉強が好きそうな筑波大付属の小学生が溢れていた。彼等の多くは親と同じように裕福な生活を送ることになるのだろう。
予定では、それから銀座に出て知人の個展を訪ねるつもりだったが、猛烈に腹が空いて力が出ない。不必要に外食はしない主義なのでそのまま帰宅することにした。
北赤羽駅前のスーパーで買い物をして、少し遅い昼食を作った。食べ終わる頃、母の帰宅を知らせる電話が入った。10時前にリハビリで預けても、4時過ぎには帰ってくる。自由な時間はとても短く、大したことはできない。
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