« 床屋の娘の耳掃除 2005年5月12日 | トップページ | ささやかな自然の回復 2005年5月18日 »

2007年1月 6日 (土)

生きている者の美しさ 2005年5月14日

自然公園の古民家で老人達が昔のことを話していた。
昔そのままの土間や座敷や竃を見て、一気に忘れていた情景が蘇ったようだ。大都会と言え、住人の大半は田舎育ちなのだ。

帰り、生協で榊と仏壇の花を買い、桐ヶ丘団地を抜けた。団地公園のポプラが爽やかに風に揺れていた。車椅子の母は新緑を見上げ、昭和初期、サナトリュウムから退院した日を思い出すと話した。

母は久留米育ちだが、若い頃は東京で暮らしていた。
夏の雨の日、母はお台場の海水浴場で泳いで風邪を引き、治らないまま肋膜炎に悪化させてしまった。肋膜炎は結核の一種で、戦前は不治の病と思われていた。母はすぐに稲毛のサナトリュウムに入院して転地療養を始めた。しかし、病気は軽かったようで半年後に退院出来た。

サナトリュウムから解放されて目にしたのは、今日のように美しい新緑であった。母にとって、その自然は何にもたとえようがなく美しく、突然に昔の光景が蘇ったようだ。

その感覚は私も理解できる。若い頃、私は肺ガンを疑い築地のガンセンターへ通ったことがある。当時、身近な知人が次々と肺ガンで倒れ、私は癌ノイローゼになっていた。それには理由があった。知人と私が住んでいた近くに大きなメッキ工場があり、六価クロムを含むオレンジ色の毒々しい廃液がしぶきを上げて側溝に垂れ流されていた。知人達が肺ガンになったと聞いた時、私はあの六価クロムが怪しいと思った。そして、自分もやがて発症と思ってしまった。

1ヶ月近く、様々な精密検査が続いた。そして、何も無いと分かり、ガンセンターの玄関を出ると躑躅の植え込みがあった。季節は夏で、植え込みに1匹の蛾が止まっていた。好きな虫ではないが、その時はとても美しく感じた。世の中の草木も動物も虫も生き物総てが美しく見えた。母の感覚もそれと同じだったのだろう。

|

« 床屋の娘の耳掃除 2005年5月12日 | トップページ | ささやかな自然の回復 2005年5月18日 »