ささやかな自然の回復 2005年5月18日
今日も自然公園古民家の座敷に横になった。
土間の車椅子の母は見学に来た初対面の老人と話している。
目の前に長い年月の生活が染み込んだ柱や床の間がある。障子の柔らかな光を見ていると、そこに住んでいた着物姿の若い女性が現れそうな幻覚を覚える。
古民家下に小さな田圃がある。今日は田植えで、近隣の小学生たちがドロの中で騒いでいた。今日は暖かく田植えが楽しそうだ。騒いでいる小学生を眺めていると、泥のヌルリとした感覚を懐かしく思い出した。
田圃脇の池ではカルガモが9羽の雛を孵した。しかし、この3日間で次々と野良猫にやられ3羽になってしまった。雛を見に通っている見物客の心配は続きそうだ。
夕刻、通販で買ったサプリメントの代金を支払いに川向こうのコンビニへ出た。
以前は、散歩道のコンビニで支払っていたが、去年閉店してしまった。
最近、夕暮れに外を歩くのは少ない。川辺を歩いていると、黒いものが視野を横切った。一瞬、眼底出血による影かとヒヤリとしたが、コウモリだった。埼京線の橋脚を住まいにしているようだ。コウモリは昔は都内のどこにでもいて、明かりに集まる虫を求めて飛び交っていたが最近は見かけない。久しぶりに出合い、気持ちが和んだ。
浮間橋を渡りながら川面を見ると、ユラユラと明かりが映っていた。この光景は懐かしい。
日南市大堂津で育った子どもの頃、毎夜、港へ夜釣りに行き、ユラユラと明かりが映った海面を眺めながら釣り糸をたらした。
灯りを求めてやって来たアジやザバが面白いように釣れ、翌日の弁当のおかずになった。しかし、釣れないと猛烈な睡魔に襲われて、いつの間にか眠って、よく海に落ちそうになった。それは50年前のことだが、昨日のことのように思い出す。
| 固定リンク
「心と体」カテゴリの記事
- コロナ陽性となって起きる不都合と差別。Go Toトラベルの見直しは非科学的。令和2年11月22日(2020.11.22)
- 新型コロナは蔓延しないと終わらない。終息を急ぐあまり、自殺者とシャッター通りを残す愚策は止めてほしい。令和2年11月14日(2020.11.14)
- 上手な嘘と嘘の見抜き方で、営業・企画・宣伝力強化。冷和2年10月29日(2020.10.29)
- 報道の変化に新型コロナ終息が見えた。人口激増に備えての昆虫食。令和2年10月19日(2020.10.19)
- 今日は10回目の母の命日。令和2年7月1日(2020.07.01)