本当の贅沢 2005年5月5日
連休期間は爽やかな好天に恵まれ、自然公園は子供連れで賑わっていた。
郊外の本物の自然の方が、広くて面白いに決まっているが、小さな公園でも、近所から遊びに来て、帰りの足のことなど気にしないで済むのは気楽だ。
古民家の畳の部屋では、女の子達がままごとやお手玉をして遊んでいた。
母の車椅子を土間の片隅に置いて、私は畳に大の字に寝ころんだ。子ども達の楽しそうな話し声が心地よい。母は放って置いても、色々な人が母に声をかけて行くので退屈しない。
帰りは赤羽台団地を抜けて駅前へ出た。最近、団地はすっかり人影が少なくなった。大きな団地なのに、歩いていても殆ど人に出会わない。昔は都内では高級な団地で、有名人も多く住んでいた。あの頃の賑わいを思い出すと寂しくなる。
団地の急坂を下り、亀池弁天にお参りして、駅前のイトーヨーカ堂へ入った。
地下食品売場はお昼前で混んでいる。ご飯へ混ぜるアマランサスとダッタンソバを買う。それから駅高架下の商店街へ行った。
そのエスニックの店で、東南アジアで作ったビーズのネックレスを買った。牛骨を細工して赤く染めたもので580円と安い。最近、ビーズは手芸店で買うより、ここで出来合を買ってバラす方が安上がりである。
帰り道、旧知の理髪店のご主人夫妻と会った。母は姉から貰った帽子を誉めて貰い喜んでいた。そこから緑道公園へ入ると新緑が深く静かである。そこで一休みするのが最近の楽しみだ。
5月6日
お昼から雨が降るとの予報なので早出した。
自然公園は早い時間は意外と年寄りで混んでいる。古民家の大竈に火が入っていた。風が冷たいので薪の火が心地良い。母を冷やさないように大竈の前に置いて、今日も私は座敷に上がり大の字になった。最近、慢性的に寝不足で座敷で横になるのが楽しみである。おかげで、すっかり古民家に馴染んでしまい、自分の家のようにくつろげる。
もし、私が大金持ちなら、中央区の湾岸あたりに巨大なビルを建て、その屋上に自然公園のような田園風景を再現し、その中に囲炉裏のある小さな古民家を建てて暮らす。
銀座で遊んで、歩いて帰ってくると、辺鄙な田舎暮らしが待っている。本当の贅沢は豪邸に住むことではなく、そのようなものだ。
今私は毎日自然公園へ行き古民家の座敷で寝ころんでいるが、それはささやかな夢の実現である。
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