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2007年1月 8日 (月)

父の命日 2005年6月1日

今日は父の命日。
毎年、父についての想い出を書いているだろうと思って、以前の日記を検索したが、去年の5月31日だけに、明日は命日だから供物を買う、とあるだけで、他にはなかった。意外と書かないものだ。

先日、私のHPを見ている、同年輩の方からメールをいただいた。その方は、開業医から軍医として出征された父上をアッツ島玉砕で亡くされた。
そのメールは、私には複雑な思いを残した。
と言うのは、玉砕前年、昭和17年当時、北九州で建設省の技官をしていた父は、飛行場建設の為、アッツ島ヘ派遣されることになっていた。その辞令を聞き、母は父が海軍士官として出征することを大変名誉だと喜んだ。
しかし、資材を積んだ輸送船が、父の乗船前に潜水艦に沈められ、次の便を待つ内にアッツ島は玉砕してしまった。奇しくもその時、その方の父上と私の父は生死を分けてしまった。

生き残った父は九州の日田山地で食糧増産の灌漑工事の指揮を続けている内に終戦を迎えた。
父は戦後、建設省を辞め、次々と無理な事業に手を出して失敗して、私達は塗炭の苦しみを味わった。恥ずかしいことだが、父は家族思いではなく、母や我々が父の借金の後始末に奔走していることなど意に介さず、さらに事業に手を出しては、借金を増やした。

後年母は、父がアッツ島で戦死してくれていたら、私達に良い父親の想い出が残せたのにと、よく言っていた。しかし、私は20年1月の誕生なので、父がアッツ島で玉砕していたら、私もこの世に存在しない訳である。

医師として社会に大いに貢献できたその方の父上が亡くなり、社会に大きな迷惑をかけることになる父が生き残ったとは、運命の皮肉と言う他ない。加えての皮肉は、父が生き残った為に存在する私である。

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