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2007年1月20日 (土)

びんつけ芋とは安納芋のこと。2005年8月21日

最近、銀座の高給焼き芋店で1本千円焼き芋を売っている。
南九州育ちの私としては、この焼き芋の話題は看過できない。
私の記憶では、焼き芋は最安のおやつで、子供のわずかな小遣いでも、壺焼きで、ねっとりと焼き上げた焼き芋を腹一杯にできるほど買うことができた。
つぼ焼きとは、高さ70センチほどの素焼きの壺の底でコークスを燃やして、壺の内側に吊り下げた芋を遠赤外線でじっくりと焼き上げたものだ。焼きあがった芋は蓋代わりの同じく素焼きの容器に入れて保温されていた。

芋は低温で時間をかけて焼くと、酵素の働きで澱粉が糖化され、甘くねっとりと焼きあがる。私は魚焼きの上にアルミ箔で包んだ薩摩芋を並べ、中華鍋で蓋をして、弱火で2時間ほどかけて焼き上げている。その焼き方でも、つぼ焼きと同じ美味しさを味わえる。

42年前に上京して驚いたのは、九州と東京の食べ物の違いだった。
西日本では青ネギ主流だったのに、東京では白い長ネギばかりだった。
ねっとりした日本伝統の黒皮カボチャ=武者小路氏の色紙に描かれているもの=は料亭向けの高級野菜で、八百屋で普通に買えるのはホコホコタイプの西洋カボチャばかりだった。
殊にねっとりと甘味の強いびんつけ芋が手に入らず、薄味のホコホコ芋ばかりなのにはがっかりした。

そのうち、水耕栽培の青ネギが東京に普及した。
黒皮カボチャは御徒町などの高級食材店へ行けばいつでも手に入った。
だが、びんつけ芋だけはどこにも売っていなかった。
それが最近、1本千円の高級焼き芋として話題になった。その記事で始めて知ったのだが、びんつけ芋の正式名称は安納芋だった。

びんつけとは、お相撲さんの髷や日本髪を固めるのに使う日本伝統のハードタイプの整髪剤だ。松ヤニと蜜蝋を練り合わせ、丁字で香り付けしてある。私は、金箔を扱う時、粘着剤として指先やヘラ先などに微量つけて、1枚づつ剥がすのに使う。
見た目は半透明の黄金色で、ふかした安納芋に似ているので、私達はびんつけ芋と呼んでいた。

安納芋は平均気温が低い土地では甘く美味しく育たない。甘くするためには熟成する技術が必要だ。それで、南九州以外では手に入らなかった訳だ。以前、知り合いの八百屋に尋ねると「あんな水ぽい芋は不味くて食えない」と馬鹿にしていた。それは熟成されていない芋で、そのように誤解したのだろう。

安納芋の糖度はサツマイモの中で最高に高い。ホコホコ感はなく、クリームのようにねっとりしている。子供の頃、私たちはその焼き芋を軽く揉んで端を噛み切り、チューブ入り練り歯磨きのように、クリーム状の中身を押し出して食べていた。

昔、びんつけ芋が手に入らないと日南市の古い友人に話すと、すぐに送ってくれた。
大変美味しかったが、涼しい場所に保管したのが間違いで、大半を腐らせてしまった。
この芋は寒さに弱く、保管に注意が必要だ。最近、スーパー店頭に並ぶようになったが、どれも痛んだ斑点がついていた。この痛んだ部分は苦くて口が曲がるほど不味い。売る側もまだまだ商品知識が足りない。

昨日は暑かったが、今日は風が強くて過ごしやすい。汗は昨日の3分の1である。ベランダから開け放った玄関へ強い風が吹き抜け、綿埃を全部吹き飛ばしてくれて部屋が綺麗になった。

母を散車椅子歩させている緑道公園で、いつもの3人組が安酒で酔っぱらっていた。
いつも、そのリーダー格が子分の二人に説教している。
「そんな生活態度でどうする。世の中は、みんな一生懸命頑張っているんだぞ!!」
ろれつの回らない声では、全く説得力がないた。
「朝から酔っぱらって、どう頑張っているって言うんだろうね」
母は笑いをこらえていた。

多分「必死に耐えながら、事態が好転するのを待て」と言いたかったのだろう。
しかし、この様子では良いことは起きそうにない。
その内に肝臓がパンクするのが落ちだ。
リーダー格とは、時折話すことがある。
鹿児島の良家の次男坊だったが、遊びが過ぎて勘当された。
それでも一日中、缶酎ハイを欠かしたことがない。
多分、今も身内からの援助があるのだろう。

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記憶で描いた彼の肖像。
いつも薄汚れたトレンチコート姿だ。
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近況・・・絵本「おじいちゃんのバス停」を完成させて、Amazon Kindleの電子図書 にてアップした。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0B79LKXVF
Kindle Unlimited 会員は0円で購読できる。
上記ページへのリンクは常時左サイドに表示。画像をクリックすればKindleへ飛ぶ。

絵本の内容
おじいちゃんのバス停・篠崎正喜・絵と文。老人と孫のファンタジックな交流を描いた絵本。
おじいちゃんは死別した妻と暮らした家に帰ろうとバス停へ出かけた。しかし、家は取り壊され、バス路線も廃止されていた。
この物語は、20年前に聞いた知人の父親の実話を基にしている。対象は全年代、子供から老人まで特定しない。物語を発想した時、50代の私には77歳の父親の心情を描けなかった。今、彼と同じ77歳。ようやく老いを描写できるようになった。

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概要・・初めての夏休みを迎えた小学一年生と、軽度の認知症が始まったおじいちゃんとの間に起きた不思議な出来事。どんなに大切なものでも、いつかは終りをむかえる。終わりは新たな始まりでもある。おじいちゃんと山の動物たちとの、ほのぼのとした交流によって「終わること」「死ぬこと」の意味を少年は学んだ。

描き始めた20年前に母の介護を始めた・・このブログを書く8年前だ。
絵は彩色していたが、介護の合間に描くには画材の支度と後片付けに時間を取られた。それで途中から、鉛筆画に変えた。鉛筆画なら、介護の合間に気楽に描けた。さらに、水墨画に通じる味わいもあり、意外にもカラーページより読者に評価されている。それはモノクローム表示端末で正確に表現される利点がある。

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