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2007年1月19日 (金)

介護していた私が腸炎と薬疹でダウン。2005年8月6日

昨夜、寝付けないまま朝を迎えた。暑さの所為ではない。何となく違和感があるので体温を測ると38.7度。しかし、脱力感はない。ただ、体の節々が痛む。他に下痢気味。何か食べ物が悪かったようだ。母の世話があるので早く治す必要がある。色々迷った末、融通が利く家庭医のKさんにかかることにした。

K医院まで2㎞ちょっと、炎天下を歩いていけるのだから、大した病ではない。Kさんの診断はウイルス性の腸炎。薬が出たので、医院ですぐに飲んだ。
幸いにも今まで大過なく過ごしてきたが、母を私一人で世話をしているとこんな時、とても困る。しかし、鎮痛解熱剤のおかげで午後には37.5度まで下がった。洗濯をして、台所を片づける。昨夜寝ていないので、横になるとすぐに寝入る。体温が高いので、今日も猛暑なのに暑さは感じない。風邪の熱と違い、疲労感が無いのが幸い。

8月7日

熱は下がったが、疲労感が強い。暑さと体熱が合わさって頭の芯までボーっとしている。しかし、母の世話は休めない。お昼前に買い物へ行き、昼食を作る。それから洗濯、雑用と気力を振り絞ってこなしている。つくづく健康は大切だ。今まで、介護生活を維持できたのは私が丈夫だったからだ。

体調が悪くなれば休める。このごく普通のことが私にはできない。兄姉の誰かに手助けしてもらえば楽だが実際には簡単ではない。災害対策のための訓練がある。あれと同じで、事前にシュミレーションし、訓練しないと、突然には何も出来ないのである。母を介護施設に預けることも可能だが、事前に申請しないといけない。結局は健康に注意を払い、そのようなことにならないようにするほかない。

タイランドのCDカバーの締め切りも迫っている。こちらも休むことはできない。気力が落ちると絵も悪くなる。書き込みを休まないのは、気力を奮い立たせるためでもある。出来る限り普通のことをすることで、気力は維持できる。

8月8日

ようやく、朝の体温が37度を少し下回った。しかし、抗菌剤の副作用が出て全身に発疹が出た。抗菌剤を途中で止めるのは冒険だが、思い切って服用を止めた。悪くすると耐性菌が生じ厄介になる。夕刻まで様子を見ているが、悪化の気配はなく一安心。

午後から再び体温は37度ラインを超えた。しかし、休むわけにはいかない。バンコクのCDカバーの締め切りは10日。仕事をしながら、いつものように、買い物、料理、洗濯と雑用をこなす。誰かに助けて貰うとか、今の生活を悔やんでも仕方がないことだ。病は気力が影響する。CDカバーは恥ずかしくない出来にしなくてはならない。

8月9日

今日は通所リハビリで母を預ける日なので、久しぶりに私は楽である。体温も平熱に戻った。施設の車が迎えに来る前、川沿いの道を、体慣らしに車椅子の母を押した。涼しくて良い朝だが、後遺症の足の薬疹がひどくて、ズボンで擦れて痛痒い。そのまま川向こうの商店街へ行き、開いていた薬屋で抗ヒスタミン軟膏を買った。私の経験ではこの薬は殆ど効かない。ただの気休めである。母は先週の金曜以来の車椅子なので気分がいいと喜んでいた。

送迎車に母を乗せ、急いで帰宅してシャワーを浴びた。痛痒い足の発疹を冷たい水で冷やすと気持ちいい。シャワーの後、湿り気が残っている内に買ってきた抗ヒスタミン軟膏をたっぷり塗った。この手の湿疹は湿度を保つことで治りが早い。昨夜は1時過ぎまでCDカバーの絵を描いていたので眠い。少し横になって仮眠を取った。

今日は集中してCDカバーの絵を描く。体調が優れないと、絵も良くない。11日朝にバンコクへ画像添付で送る予定なのでその旨、英訳してメールした。
何とか、体調が快復してホッとしている。薬疹はこのまま暑さが去るまで悩まされるかもしれないが、気にしないことにする。湿疹で死ぬことはないからである。続く

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