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2007年1月23日 (火)

風清涼夏の夢見る百日紅 2005年9月16日

風清涼夏の夢見る百日紅 古い自作の句をこの季節になると思い出す。
赤羽は桜と共に百日紅の街路樹が多い。亜熱帯になった東京にはとても似合う花樹で、猛暑の日にも、とても元気に咲いてくれる。風の強い日は、清楚ではかなげな紅色や白色の花弁が地面舞い散り美しい。

今日もOさん達が椎の木陰にいた。しかし、風が涼しすぎるようで「寒いくらいだ。」と笑っていた。
今日は長く休んでいたIさん夫妻も2ヶ月ぶりに顔を見せた。母は古民家の土間でIさん達は楽しそうに話していた。座敷に寝ころぶ私に以前のように母達とIさん達の声が聞こえるのは懐かしく心休まる。これでとりあえず、気になっていた人達の元気を確認できた。

夜、NHKで若者の自殺を取り上げていた。聞いていると、年配者と若者の自殺の形態はかなり違うようだ。何故、生き方が分からないだけで死のうとするのか。もしかすると、異常に増えすぎた人単独種が自己調整する本能かもしれない。

彼等は失業している訳でも、病苦である訳でも、失恋した訳でもない。それでも、死のうとする。私には分からない心の闇があるようだ。しかし、飢えとか政治的弾圧とかの環境内では起こり得ない行動のようにも思える。視点を変えると、若者の自殺は、平和で豊かな先進国型の行動なのかもしれない。

私も長く仕事が低迷している頃は、死にたくなる程辛かった。死にたくなるとは物騒な言い回しだが、別段、本当に死にたい訳ではない。ただ死にたいくらいとても辛いと言う形容詞である。だから、仕事が入ったり絵が売れたりすると、一瞬で解決して、幸せ感が満ちてくる。年配者の自殺もその延長線にあるものが多く、後進国型と言える。

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