人生に安定は無縁なのかもしれない。2005年9月29日
今日は爽やかな日射し。母が兄へ欠かさず書いている葉書用の写真を撮った。帰ってから15枚の写真を葉書にプリントした。8月の葉書の鮮やかな草木の写真と比べると、今は光は優しく、確実に秋色に変わっていた。九州の兄は母と長く会っていないが、毎日届くこの葉書で母と会っている気分になるらしい。
今日のような爽やかな日は短い。自然公園は爽やかさに誘われて老人達が増えた。暑い頃うるさかった蝉は、今はツクツクホーシが僅かに鳴いているだけだ。代わって赤とんぼが群舞して時折ぶつかりそうになる。実った田圃は小学生によって半分だけ稲刈りが終わった。暮れになると、その米を古民家の竈で蒸して、土間で餅つきをする。稲株だけになった田圃の土色が懐かしい。ふいに、終戦後の食糧難の頃、学校の行き帰りに落ち穂拾いをしていたことを思い出した。落ち穂の籾は数日で1升程になった。籾は纏めて精米所に持ち込み米にしてもらった。
古民家の座敷で遊ぶ親子連れが増えた。いつもの私の場所は子供達に占領されていたので、廊下の端に寝転がった。冷たい床板が心地よい。「いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。」と座敷からは子供達がお店やさんごっこをしている声が聞こえた。
夏が遠い昔のように思える。この秋の日も矢のように過ぎて、すぐに2005年も終わるのだろう。この5年程、もうダメだと挫折しかけながら乗り越えてきた。母の健康も、何度も消えかけたロウソクのように危うくなったが何とか乗り越えてきた。人生に安定は無縁なのかもしれない。しかし、困難に合わせて人は強くなれるもののようだ。
散歩道は至る所、実りの秋である。スズメは美味しい餌を見つけたようで、寄りついてくれない。自然公園の山葡萄は熟し始めた。栗は熟れるはしから来園者に拾われてしまう。銀杏と鬼ぐるみはもうすぐ落ちる。緑道公園のナツメは今が時期で、赤錆色に熟した実は今年は殊更甘く美味しい。
顔馴染みのOさん達は秋は気持が弾むと嬉しそうだった。確かに、私も締め切り前で寝不足にも関わらず体調が良い。Oさん達と母は「今日1日が良ければそれで良い」といつたことを話していた。明日のこと、来年のことを考えると気分が落ち込んでしまう。明日のことを先回りして悩んでも仕方がない。この歳になると、崖っぷちに立ってから考えても、上手く乗り越えることができるようになった。
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