躑躅忌 2005年4月25日
昨夜、突然仕事場のテレビがプツンと音をたてて壊れてしまった。スイッチを入れ直すと画面は赤青の気味の悪い色になっている。音だけ聞くために点けていたが、再び大きなプツンという音をたてて切れてしまった。
テレビが無いと、良く喋る友だちがいなくなったようで寂しい。殊に、高層階のこの部屋は地上の音が聞こえず、孤独感感が塊になって襲ってくる。あまりに静かで、もしかして母が頓死したのではと母の部屋へ見に行った。しかし母は呑気に寝入っていた。
若い頃は十条のゴミゴミした下町の安アパートの2階で暮らしていた。夜、床に入っても下の道を行く足音や、酔っぱらいの騒ぐ声が聞こえた。休日は子どもの遊ぶ声、夕暮れは物売り、雨音やスズメの鳴き声、時には友人が路上から小石を窓に投げて、遊びに誘ったりした。当時は騒々しいと思っていたが、今はとても懐かしい。
今日の自然公園は時折冷たい雨が落ち閑散としていた。同じ静けさでも、この静けさはとても良い。古民家では竈の大釜でお湯を沸かしていた。薪の煙で、茅をいぶし、虫除けにする為である。
桜は夢のように過ぎ去りツツジの季節になった。この季節は毎年祖母のことを思い出す。5月1日が命日で、その日の朝、葬儀に必要な書類を区の出張所へ取りに出ると道筋にツツジが満開であった。
身内だけの質素な葬儀が終わり、兄と母は祖母の遺骨を私の紅型の風呂敷に包んで九州へ向かった。新緑の緑陰を母と並んで行く長兄の後ろ姿を玄関から見送ったが、元気な兄を見たのはそれが最後だった。長兄は次の年の秋、九州の田舎中学の勤め先で42才で急死した。
兄は勉強好きで九大へ入ったがデカダンスに憧れ、親に黙ってフランス文学に転向し、酒と麻雀に溺れた。急死は浴びるほど飲んだ酒が原因だった。
昨夜見たの映画「アンドリュー」では、アンドロイドは死なないゆえに愛する人達を次々と見送っていく悲しさを描いていた。私も人を見送るばかりで時折無性に寂しくなる。長兄も絵が好きで、年は離れていたが話は合った。テレビの無い部屋で仕事をしていると、ふいに長身で気弱だった兄の姿を思い出し、もう一度会って話してみたいと思った。
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