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2007年1月 9日 (火)

池袋大谷口の給水塔  2005年6月14日

先日、同窓会が終わった7時過ぎに、友人達から新宿へ出て来いと電話が入った。仕方がない。母がベットに入るのを確認してから出かけた。

友人達たちは官職から天下りしたり、サラ金の社長をしたりと皆裕福である。
私は彼等と再会する以上、割の良い仕事をせしめようとの思惑があつた。宴席で、率直に今の窮状を訴え、仕事をくれないとホームレスになってしまうと脅した。
しかし、語っていると、話を面白くしてしまういつもの癖が出る。そうなると、誰も窮状を信じない。「大丈夫、必ず乗り越えられる」と面白がるだけだ。結局、仕事をせしめる思惑は外れ、深夜、悄然と帰宅した。

翌日、散歩をしながら、母にそのことを話した。
母は、貧乏だと言っても信じて貰えないのは良いことだ、と変な慰め方をした。
母はいつものように元気に歩いてくれた。帰宅しても疲れた様子はない。小さな幸せも良いものだと思った。

今日は池袋で、Hさんに頼まれていた絵と「父は空母は大地」10冊を納品した。重い荷なので、そのままHさん宅まで運び壁に飾った。
Hさん宅からは給水塔が見える。先日の朝日の記事では、地元民から存続の要望がなかったので取り壊しが決まったと書いてあった。
給水塔は、すでに外壁が網で覆われ、取り壊しが始まっている。Hさんに「反対運動はなかったらしいですね」と話すと、とんでもないとの返事。80年間、朝に夕に眺めていた地元住民に愛着が無い訳がない。一部有力者が賛成したことを勝手に総意と解釈して、あっという間に壊し始めてしまったと、憤慨しきりであった。

そう言えば、昔、母の従兄弟が、その近くで開業医をしていた。その頃、母が訪ねる時、給水塔は良い目印だったようだ。名残惜しいので前もってデジカメほ持参していたが、解体が始まった今は良い写真は撮れそうにない。記録程度のものを数枚撮っただけにした。
しかし、Hさんの作品買い上げは本当に助かった。干天に慈雨の心持ちである。これで、次の展開に手が打てる。やるぞーっと沸々とやる気が出てきた。

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