« 父の命日 2005年6月1日 | トップページ | 今は遠い、金へん景気の頃 2005年6月6日 »

2007年1月 9日 (火)

勝ち犬負け犬の幸不幸  2005年6月4日

傍らのテレビで「負け犬の遠吠え」の再放送をしていた。結婚は女性にとって特別な通過儀礼で、通過した勝ち犬と通過できない負け犬と大別されているようだ。
しかし、運命の神様はへそ曲がりで、誰が見ても満ち足りた結婚生活を選択した者に不幸を与えたり、不幸を覚悟して生きている者に幸福を与えたりする。

かく言う私は、野垂れ死に覚悟で絵描きを職業として選んだ。その通り、私は大変な人生を送っていて、人から見ると不幸の極みである。しかし、不思議なことに自分が不幸だと思ったことは一度もない。幸福や不幸は心の問題である。

今日も、自然公園の古民家の座敷で休んだ。
隣の座敷では子ども達がお手玉やおはじきをして遊んでいた。母は土間で見学の老人達と雑談している。大の字に寝ころび古い天井板を眺めていると、涼風が吹きすぎる。広く開け放った縁側の向こうには豊かな自然。そこには、ゆったりとした時間が静かに流れていた。それが、私が感じる幸せである。

帰り道、いつも見かけていますと、車椅子を押している婦人から声をかけられた。その車椅子のお婆さんは97才の明治生まれ。言葉の感じから都会育ちのようだ。ちょっと、死んだ祖母に似ている。明治の人には江戸の気風が残っていて、特別の雰囲気がある。

母を散歩させるようになって、この国には、我々とは違う、もう一つの老人の世界があることを知った。そこには、前述の勝ち犬負け犬の安易な定義はない。それは戦乱と戦後の混乱をくぐり抜けた特有の強靭さによるものかもしれない。老人達は幸不幸など、さほど問題にしていない。本当の幸せは、辛苦を舐め尽くして初めて分かる感覚なのかもしれない。

|

« 父の命日 2005年6月1日 | トップページ | 今は遠い、金へん景気の頃 2005年6月6日 »