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2007年2月 1日 (木)

生きていることが本当に素晴らしく思える。2005年10月16日

朝、玄関前で車椅子の用意をしながら新河岸川対岸を見ると救急車が止まり、10人程の人だかりが出来ていた。パトカーも停車していて、警官が住人達に質問をしている。場所は古い低層の公団団地である。やがて、団地から担架が運ばれて来た。掛けられた薄緑の布の膨らみは薄く老人の様子。担架は収容されたが救急車は発車しない。どうやら既に亡くなっているようだ。住人達への警官の聞き込みは10分程続き、ようやく救急車は出ていった。一連の動きから見ると変死である。もしかすると孤独死かもしれない。母を車椅子に乗せ出発する頃には、何もなかったように団地の路上から人影は消えた。

人はいずれ死ぬが、死に方は様々だ。アフガニスタン地震では生き埋めになったりして4万近く亡くなった様子。この死に方は閉所恐怖症の人から見ると想像しただけで息苦しい。その極限状態では人の知恵は逆に苦痛を増すように働く。野生動物のように、目の前の現実だけに耐えているのなら楽だが、凡人にはそうはいかない。

入定という生き仏になにる究極の修行がある。自らの意思で生き埋めにして貰い、静かに仏の世界へ旅立つのである。これは壮絶な苦行を重ねた者だけに出来ることだ。昔読んだ文献に、苦行を重ねる内に、恍惚感を覚えるようになる、とあった。もしかすると、入定する僧はそれに近い感覚だったのかもしれない。

そんなことを考えながら、冷たい雨の中自然公園へ向かった。
公園は静かだった。この雨に濡れた初秋の自然を見ると心が洗われ、重く心を占めていた死のことが消え去った。

車椅子を押していると、母の杖につけた鐘の音に誘われて、今年生まれの若いスズメ達が餌を貰いに来た。初めて冬を越す準備なのだろう。成鳥になると現れる胸毛の黒いネクタイがまだ無く、白いふっくらとしたマシュマロのようなお腹が可愛い。彼等の寿命は精々2,3年である。それでも、スズメ達は生き生きと生きている。彼らを見ていると、生きていることが本当に素晴らしく思える。

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