肺ガンから生還したのに先に逝かれた。2005年12月13日
いつものように自然公園の歩道を車椅子を押していると、顔見知りの公園管理人が声をかけてきた。
「先月、菊池さんが亡くなったよ。」
突然のことで、母も私も驚いた。菊池さんは秋口まで管理室に詰めていた人である。年は69歳、8年前に肺がんの手術から生還していて、同じように肝臓ガンから生還した母とは気が合っていた。彼は私たちが管理室前を通ると、すぐに気づいて窓を開け、嬉しそうに話しかけた。それで母は管理室前を通るのを楽しみにしていた。
しかし、今年春あたりから風邪っ気が抜けず、夏に体調を壊したままその人は秋口に退職された。だが、その人の様子に急に悪化する気配は無く、そのうち公園で再会できるだろうと私たちは思っていた。
訃報を知った後「人は死ぬものだから、しかたがないね。」母はつぶやいた。
私は曖昧に返しながら空を見上げた。今日も枯れ葉が舞い、すっかり葉を落としたミズキが青空に端正な枝を広げていた。今年生まれた雀達はすっかり成長して、コロコロ転がるように足元に来て餌をねだった。その平和な光景の中で餌を撒きながら、新たに生まれる者たちのために、死ぬ人がいるのかもしれない、と思った。
帰り、公園の日だまりでひなたぼっこをした。古民家で休むようになってから、その日だまりで休むのは久しぶりである。母がガンから生還した去年の初頭、よくその日だまりで休み風の音を聞いていた。
すすきの原の向こうのに炊事棟の屋根が見えた。
「炊事棟の屋根は古澤焼酎の屋根に似ているね。」私は母に話しかけた。
古澤焼酎とは少年時代を過ごした南九州の大堂津にある焼酎醸造所である。今は現当主が商売上手で東京でも名が通っている酒造メーカーである。
当時は古い土蔵のある、軒の深い昔風の建物だった。最近、昭和の、あの時代を思い出すことが増えた。記憶の中の風景は、古い映画のようにセピア色がかって懐かしい。やがて、それらの記憶に母が加わるのだろう。
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