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2007年2月10日 (土)

真実は本当は単純なものだ。2005年12月22日

昔の仕事仲間Yさんがお歳暮を持って来訪した。
母と3人でしばらく談笑していると、昔のことを走馬灯のように思い出した。Yさんは母と私共通の昔からの顔馴染みである。

夕暮れ、Yさんを玄関前で見送った。別れの挨拶をしながら振り返ると素晴らしい夕陽が富士の左肩に落ちようとしていた。
「そうか、今日は冬至だったね。」Yさんが言った。昔は冬至に、風邪よけのまじないにカボチャと小豆を煮て食べていた。二人でしばらく夕陽を眺めた後、Yさんは夕陽を背に帰って行った。

夜10時過ぎ、テレビを止めた。年末で番組はどれも下らなく見る気になれない。静かな時間、ヒューヒューと風の音だけが聞こえた。壁の換気口が少し開けてあるので、僅かに冷たい外気が室内に流れ込んでいた。

帰りがけ、Yさんは母のことを少しもぼけていないと感心していたことを思い出した。しかし、母は外面が良い。最近は、とんちんかんなことを言うことが増えた。その時は厳しく注意する。他人が見たら高齢の者に、そこまですることはないのにと思うかもしれないが、気性が激しい母にはその対応が効果的である。

母が少しずつ老いて行くのは辛い。その一方、そうやって去って逝く肉親への思いに徐々に耐えられるようになるのかもしれない、と納得している。
人とは不思議な動物だ。未来を考える力を得た結果、心の不幸を背負ってしまった。

深夜の再放送でアウシュビッツのドキュメンタリーを見た。極限を生き抜いた人たちの言葉はとても重い。真の心の強さの意味は分からないが、生き残ったユダヤ人の言葉にヒントを感じる。
自分だけの為には強くなれないが、家族のため、同胞のため、人類のためなら、人は強くなれると生き残った人は語っていた。真実は、本当は単純なもののようだ。

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