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2007年2月10日 (土)

クリスマスに、夕陽寒風に独り逆らう 2005年12月25日

先日水曜、母が耳の違和感を訴えた。見ると耳道入り口脇が赤く腫れている。たまたま内科のKさんの往診日だったので診てもらう。Kさんは化膿しているかもしれないと軟膏と抗生物質の内服薬を処方してくれる。すぐに薬局で薬を貰い処置する。

翌朝見るとかさぶたが取れ、あてたガーゼが浸出液を吸収して穴が開いている。腫れは取れているが、穴の奥に耳の軟骨が見える。経験の無い事態なので、放っておいて治るかは自信が無い。すぐに東京北社会保険病院に電話を入れると、9時半に外科の予約が取れた。

外科は空いていてすぐに診察してもらえた。しかし、初老の外科医は軽症でがっかりしたようだ。「
このくらいなら、何もしなくても治りますよ」と言う。私は老人だから堅い枕で圧迫したことによる辱瘡ではないか、と反論。「枕での圧迫ですか・・・」医師は考え込んでいる。だが、軽症であることには違いない。私は一応納得して引き下がる。母は医師と雑談していたが、私は母をせかして辞した。料金は70円。民間医院ならこう安くはいかないだろう。その後、いつものように自然公園へ散歩へ行った。

今日はクリスマスイブ。去年作ったリースにリボンとクリスマスベルを飾る。クリスマスからの年末年始が楽しくなくなってから久しい。年を重ねるに従い、ただ煩わしいだけだ。

午後、母の薬を買いに駅前に出る。街は子供連れの親子が多い。世の中は私と違うようだ。買い物ついでに、母用にビーズを2000円程買う。手芸材料店はいつになく込み合っている。しかし、店員と客の会話では3月に閉店らしい。店員の態度がでかいので厭な店だったが、品ぞろいが良いのは重宝していた。ふいに、3月を境に母は弱ってビーズを必要としなくなる暗示ではないか、と不吉な予感が過る。最近の母の様子では、何となく当たりそうな気がする。

一昨日から山頭火の名が思い出せない。名に山が付いていることは分かっているが、1番に思い浮かぶのは魯山人ばかりで、それから一歩も進まない。もういいとあきらめた頃に突然その名を思い出した。
山頭火が気になったのは、「夕陽寒風に独り逆らう」の句を思いついたからだ。毎度書くが、今年冬の東京の夕陽は素晴らしい。おまけに寒い。句の底に、母が逝って独りで寒風に逆らって生きられるだろうかの思いがある。守るものが無くなってからの人生の構築は本当に難しい。

仕事に打ち込んでいて、書き込みを忘れていた。クリスマスもいつの間にか終わっていた。私にはクリスマスプレゼントなどないが、母は貰った。父上の介護のため出版社を止められたKさんからである。しかも、適当な品を買って欲しいと過分な額のお金であった。人の苦労が見える方である。遠慮せず有り難く頂いた。

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