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2007年2月10日 (土)

貧しい時代、街は安全だった。2005年12月5日

朝、玄関を出ると快晴。大気は冷涼で澄み切っていた。
風は弱く、戸田橋傍の硝子工場の煙が真っすぐに空へ立ち上っている。以前、絵本「青いナムジル」監修のモンゴル人学者バー・ボルドー氏が、冬の朝、パオから朝食の煙が幾筋も天へ向かって真っすぐに立ち上る光景が懐かしい、と話していたのを思い出した。昨夜の雨に大気が透明に洗い清められている。雪に覆われた富士、丹沢、奥秩父と、関東一円の山々が見渡せ、山ひだの一つ一つが見える。その大自然が東京から見える場所にあるのが不思議だ。こちらから山ひだが見えるように、山の動物達は夜になると東京の明かりを眺めているのだろう。

世相は厭な事件ばかり続く。
散歩中、車椅子の母が私たちを育てる時は安全のこと等考えもしなかったと話した。
数時間に数台しか自動車の走らない車道では交通事故は想像もできなかった。
私が小学生低学年までは自動車は木炭車ばかりで、馬力不足でノロノロ運転の車は、我々悪ガキたちには格好の遊び相手だった。わざと車の前を横切ったり、荷台にぶら下がったり、時には竿竹や投げ玉を轢かせて音をたたせ、「パンクした、パンクした。」と囃し立ててた。そして、運転手に怒鳴りつけられクモの子を散らすように逃げるのがスリルがあって楽しかった。

子供への犯罪も、南九州の田舎町ではあり得なかった。
ただ、夕暮れまで遊んでいると神隠しに会うと信じていて、遊びに身が入らなくなり帰宅した。もっとも、本当は空腹の為、漂ってくる夕餉の香りに我慢できなくなって帰っていたのだが。

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