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2007年2月21日 (水)

自然の中では老いも死も至極自然な事だ。2006年1月12日

自然公園の管理棟の無人の受付には日が燦々と差し込んでいた。日だまりの中に一瞬、亡くなったKさんの笑顔が見えたような気がした。生前、Kさんはいつも、私たちを見るとガラス戸を開け「やー、元気」と母に声をかけていた。
亡くなって以来、母は通るたびに「寂しいね」とつぶやく。
だからと言って暗くはない。老人の余命は短くそれは当たり前のことだからである。公園に来る老人達の共通の話題は老いと命のことだが、それはいつも明るくさらりと語られている。時には、老いや病気は笑い話のテーマにもなっている。
青空と清澄な大気、冬枯れの木々、それらの中では、老いも死も何でもない至極自然なことに思えるのだろう。この老人達の野太い逞しさは好きである。

帰りはイトーヨーカ堂に寄った。
早くも冬物一掃セール中。先月から母が欲しがっていた毛皮の襟巻きを買った。小さなキツネの毛皮をリボンで結ぶタイプ。値段は定価5000円を3000円に値引き。母はそれまでしていた偽物を外して、早速、首に巻いた。道々、本物は肌触りが違う、とは母は喜んでいた。
母の若い頃の写真にキツネの襟巻きをしている姿があった。昭和初期の水上のスキー場で撮ったものだ。子供の頃、そのキツネの襟巻きで兄弟でおもちゃにして遊んだことをふいに思い出した。

商店街の八百八で野菜を買い、緑道公園の日だまりで休んだ。公園に人影は無く、聞こえるのは小鳥の声だけだ。心地よくて車椅子の母はウトウトし始めた。3年前、母がガンで倒れてから命のカウントダウが聞こえ始めた。その音は時には大きく、時には小さく聞こえた。日だまりの静かな一瞬、カウントダウンは消えていた。この一瞬があるから、人は生きることに勇気を持てるのかもしれない。

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