« 豆柴がワンと尾を振る初詣 2006年元旦 | トップページ | 幸せになりきるのも、不幸になりきるのも難しい。2006年1月7日 »

2007年2月11日 (日)

人生は濃密でも軽くても、人生の意味は同じ。2006年1月5日

残ったお屠蘇をコップで飲み干し、25年前に買ったステレオで亡き王女の為のヴァバーヌを聴いた。プリアンプもパワーアンプもスピカーもあちこち錆が浮いているが、昔の国産品は極めて丁寧に作られていて頑丈である。どこにも故障は無く音は深く潤いがある。近年、セットに加えたCDデッキは壊れているので、MacのiTunesと接続コードで繋いで聴いた。今までCDはパソコン用の5千円のスピーカーセットで聴いていたが、音が浅く気に入っていなかった。

接続コードは今日の午後、池袋ビックカメラで買った。
売り場はディスニーランド並みに混んでいて、レジで支払うのに20分程列に並んで待った。景気は確かに良くなっているようだ。大型液晶テレビ等の高額商品が飛ぶように売れていて活気がある。加えて、あちこちのレジで無料サービス当選を知らせる鐘が賑やかに鳴る。100人に1人、当たると10万円までの買い物が只になるのである。私の4人前の青年も当たったが、買い物額は3千円程で、青年は買い物の少なさに悔しがっていた。

帰宅すると年賀状が届いていた。今年は出産の知らせを兼ねた家族写真付きが一段と増えた。この4,5年は旧知の女性たちの結婚ラッシュで、その結果である。結婚当初、旧姓併記だったものが、子供が出来ると家族連名になる。そして、子供が成長し中学生くらいになると、再び妻の名前単独の年賀状に戻る。家族に熱狂した時期が終わり冷静になった結果である。

元旦から仕事をしようと思ったがその気分になれず、三が日は映画を見て過ごした。昨日は録画のレジェンド・オブ・ホールを見た。ブラッド・ピットとアンソニー・ホプキンの競演でモンタナの雄大な風景を背景に、家族愛を描いていた。その後、日本のTVドラマを見たが、ちまちましていてすぐに見るが厭になった。

正月に家族愛は似合いすぎて胸にぐさりと刺さる。何故家族は大切なのか、一人身の私には痛い程分かる。
元旦と2日は肌寒い曇天で自然公園は閑散としていた。昨日3日は穏やかな好天で、顔馴染みが多く、何度も年始の挨拶を交わした。園内崖下のジャブジャブ池ではカワセミが放流された小魚を狙っていた。老いた母とぼんやりカワセミを眺めて終わる正月も捨てたものではない。日月は濃密に使おうと軽く使おうと、人生に意味するものはさして変わらない。

|

« 豆柴がワンと尾を振る初詣 2006年元旦 | トップページ | 幸せになりきるのも、不幸になりきるのも難しい。2006年1月7日 »