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2007年3月31日 (土)

母の腫瘍マーカーは肝臓ガン再発を示していた。2006年10月8日

母は昨夜の事が嘘のように元気に自然公園で歩いていた。
腫瘍マーカーの数値は肝臓の転移ガンを示す。しかし、医師は精密検査をしようとは言わない。検査して事実が分かったとしても、何もしないのがベストだからである。転移ガンがどこまで成長したら重篤になるのか、時限爆弾の爆発を待つ気持ちだ。
しかし母は、症状がなければいたって元気で明るい。
今日も自然公園で顔見知りと楽しそうに話していた。

10月9日

母のがん手術以降の対応が間違っていたのでは、と悩んでいる。
最近、母の食欲が落ちたこと、大好きだった手芸を止めてしまったこと、腫瘍マーカーのAFPが上昇したこと、厭なことばかり続き滅入ってしまう。

肝臓ガン再発はほぼ間違いない。定期的に大病院で検査を受けていれば、初期にアルコール注入で潰せたかもしれない。だが私はそれをしなかった。
駒込病院での手術までは科学を信奉していたが、母が退院してからは人の生物としての力を信じようと思った。その結果、母の余命が短くなったとしても、生きている充実感は大きいと判断した。実際、この2年半はその通りになっていた。

何故そのように考えたかと言うと、93歳の年齢と術後ヘルニアの修復のために広くメッシュが入っていて腹腔鏡が使えないからである。母は80歳から20回近く手術を繰り返し、すでに限界を越していた。
だが、症状が出て来ると悩んでしまう。最後の最後まで信念に従うべきか、それとも、医学に委ねるべきか、これは私の手に負えることではない。来月早々、生協浮間診療所で定期診察があるので、これからのことを医師に相談してみようと思った。

そのように私自身が悩んでいるのに、人から相談を受けてしまう。
その方のご主人は軽い脳梗塞で倒れた。その時、お嬢さんが動いて知人から名医を紹介してもらい入院の手続きをした。奥さんは、リハビリの施設がないその病院での治療に躊躇したが、お嬢さんに「せっかく頭を下げて頼んだのに、私の顔を潰いすつもり、」と厳しく叱られ従ってしまった。

ご主人の治療は上手く行った。しかし、長くベットに寝かされたままだったので筋力が萎え、寝たっきりなってしまった。このケースでは間に立った人の面子が優先され、患者の立場はなおざりにされがちである。だから、私は絶対に紹介は頼まないし、紹介もしない。結局、私は答えようがなく、リハビリの施設のある病院を教えるにとどめた。

医療は常に悩みを伴う。殊に患者が終末期に近づく程、医学の限界を見せつけられ、辛くなる。終末期の患者に現代医学はまったく対応していないのかもしれない。

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