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2007年3月 1日 (木)

先に死んだ人を思い出すことで、死への恐れが薄れる。2006年1月28日

昨日は疲労感があって風邪の前触れかと心配だった。それで昨夜は12時に睡眠薬を飲んで寝た。目覚めるといつものようにすっきりしていて、いつものように散歩もできた。風は冷たいが日差しが暖かく気持ちよい。道の雪もかなり溶けて楽になった。しかし、都営桐ヶ丘団地の裏道は除雪が行き届いていず、凍った路面を車椅子を押すのに苦労した。老人が多い団地だけに住人は気の毒である。

1月29日

今日は暖かい日曜で、自然公園は賑わっていた。
古民家の縁側はひなたぼっこの老人達で鈴なりで、いつものごろ寝ができず体がすっきりしない。昨夜は2時まで寝付けなくて気怠い。それで、以前の休憩場所の日溜まりの石畳に腰を下ろしだ。ススキの原の向こうに管理棟の屋根が見える。僅かな風がススキの枯れ葉を揺らして心地よい音を立てていた。

散歩中、母は子供の頃亡くなった甚平じいさんの思い出を毎日のように話す。とても温厚で静かな人で母を溺愛していたようだ。体は頑強な人で86歳で死ぬまで一度も医者にかからず゜、歯は1本の欠損もなく死ぬ間際まで堅いものを好んで食べていた。仏壇に写真があるが、見るからに屈強な体である。
若い頃は相当に荒々しい人で親戚付き合いを狭くしてしまったようだ。しかし、母の知る甚平じいさんは、酒好きの優しい無口な老人であった。
甚平じいさんは、寒い頃は、寒くないように布団に母を包んで飲み屋に連れて行った。そして酒の肴のイイダコやコノワタを食べさせてくれたようだ。だから母は今も酒の肴の珍味類が大好物である。そして私も、母の影響で酒の肴は大好物である。

母は緑道公園脇の墓地にさしかかると、甚平じいさんの思い出を話しながら「もうすぐ、会えるからね」とつぶやく。
「甚平さんより、年取ってしまったのだから、会っても甚平さんには分からないと思うよ」と私は茶々を入れる。しかし、母は意に介さない。あの世に会いたい人がいることが、死に対する恐れを和らげているのかもしれない。私もやがて、母のように先に死んだ人のことを思い出し、死への恐れが薄れて行くのかもしれない。

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