子供の頃見た移動動物園を思い出す。2006年2月1日
母を通所リハビリに送ってから買い物へ出た。時折、冷たい小雨が舞う。
ふいに、子供の頃見た移動動物園のことを思い出した。昔は地方に動物園は殆どなく、サーカスのように動物園も移動していた。
私が移動動物園を最初に見たのは宮崎市である。その日は今日のような冷たい雨だった。平日の早朝、学校を休み、母に連れられて出かけた。大堂津から隣の油津へバスで行き、宮崎行きの急行バスに乗り換えた。当時、宮崎への日南海岸沿いの道は悪路で、2時間以上バスは猛烈に揺れて私はすぐに車酔いした。
悪路は観光地の青島で終わる。そこからはコンクリート舗装の平坦な道になって車酔いは収まり私はホッとした。青島に隣接した遊園地「子供の国」に、子供用の小さな家が沢山建っていた。気分が良くなった私は、バスの窓から雨に煙っている遊園地を食い入るように眺めていた。
宮崎に着くと、胃の中のものを出し切っていたので、猛烈な空腹を覚えた。母は大淀川沿いの戦前からある古いレストランに連れて行ってくれた。
玄関に茶色い足葺きマットがあり、中は油を引いたチーク材の床になっていた。田舎者の私は木の床に土足で上がったことがなかった。マットの所で靴を脱ごうとすると、「そのままで良い」と母に笑われた。
食べたのはオムライスで、さほど美味しくはなかった。しかし、食後のプリンは天上の食物と見紛うほど美味かった。
早めの昼食の後、宮崎神宮境内の空き地に設営された移動動物園に行った。その日はミゾレになりそうなくらい寒い日で、見物客は私たちだけだった。見たかったカバは温水に浸かったまま鼻と目しか見えず私はがっかりした。
それからライオンやトラも見たはずなのだが、思い出すのはゾウやシマウマの檻の匂いだけだ。動物達よりも、昼食を摂ったレストランの暖房で曇った窓ガラスを通して見える都会の風景や、プリンの味を懐かしく思い出す。
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