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2007年3月11日 (日)

母の系譜。二人の父。2006年2月26日

養父健太郎も、私の実の祖父である母の実父茂太郎も遊び人だった。違いは健太郎が硬派で茂太郎は軟派であることだ。

実父は久留米の旧家の嫡子であったが、遊びが過ぎて廃嫡され零落してしまった。母を養女に出したのもそのような事情があってのことだ。本家を継いだ次男は真面目な人で、その子孫は今も各方面で活躍している。それに反し、惣領の子孫は私を含め惨憺たるものだ。

母は幼時に養女に出されたので、実の親の記憶は殆どない。
実父には1度だけ会っている。母が小学生の頃、養父健太郎が突然学校に来て母を早引きさせ、人力車で久留米第一銀行の官舎へ連れて行った。そこは門構えの家で、玄関で若い女性が待っていた。母が案内された奥の部屋には男の人が布団の上に正座して待っていた。母に会うと「千代しゃんか、大きくなったね」とその人は嬉しそうに声をかけた。すると。出迎えた女性はサメザメと泣き崩れた。

出会いはそれだけで慌ただしく終わり、すぐに帰路に着いた。母は自分に懐かしげに声をかけた人が誰なのか知りたかったが、養父健太郎に何も聞かなかった。ただ、大泣きしている女性がだらしないと思ったことを、今も鮮明に覚えている。遊び人だった実父が何故、堅い銀行に勤められたのか母には分からない。もしかすると、後添えのその女性は銀行関係者だったのかもしれない。

養父健太郎は寡黙な男だった。同じ飲み屋で養母の実父の甚平さんと一緒によく飲んでいたが、二人が何か話していたのを母は聞いた事が無い。寡黙さでは甚平さんも同じで、母とはよく話したが、実の娘の養母と話すことも殆どなかった。

その甚平さんはお盆になると、久留米近郊の郷里へ3日程墓参りに帰った。母は連れて行ってほしかったが「親戚にあっても面白くなかから」といつも断っていた。だから母は甚平さんの親戚はまつたく知らない。
母の知る甚平さんは大変温厚な好人物であったが、若い頃は血の気の多い人だったようだ。それが原因で親戚と疎遠になっていたのかもしれない。墓参りに帰っても、親戚宅に泊まる事は無かったようだ。私には、野やお堂に寝て、ひっそりと親や妻の墓参りをしている甚平さんの姿が思い浮かぶ。

母の子供の頃の思い出は甚平さんの事ばかりで、あの世で甚平さんに会えることを楽しみにしている。養父健太郎は家を空ける事が多い上、早世してしまったので、母には思い出が少ない。

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