スー族の言葉「今日は死ぬのに良い日だ」2006年4月17日
予報は外れ、雨は降らず絵の納品は無事に終わった。注文主の奥さんとお嬢さんの評価が高く深く安堵した。絵は女性の評価が最重要である。ねぎらいの寿司とお酒を御馳走になり久しぶりに楽しい時間を過ごした。
帰宅してやり残しの雑用を済ませていたら深夜になってしまった。午前の母の散歩も休まなかったので、さすがに疲労困憊している。
先程、歯を磨きながら鏡を見ると左の白目が赤く出血していた。このところ、無理が続いているのでその影響だろう。この出血は母方の遺伝で、数年に一度出血する。このところ5年程、無いと安心していたら、今もばっちりその体質を保持している。
完全に吸収されるまで1週間はかかる。人に会うと「どうされました。」と大変心配されるので、その説明が煩わしい。頻繁に起こす場合は内科での診察が必要だが、私程度では生理的と考えて良い。とにかく今は十分に眠ることが肝要で、先程、睡眠誘導剤を飲んだ。明日は母の診察日で、東京北社会保険病院と浮間診療所の梯子で忙しい1日になる。
4月18日
今日は爽やかな好天。緑道公園を車椅子を押しながら、ふいにスー族の言葉「今日は死ぬのに良い日だ」が思い浮かんだ。この言葉には深い意味が有る。逆説的だが、彼らにとって、死ぬ日は好天だろうと曇天だろうと暴風雨でろうと、死ぬ時は良い日なのである。しかし、現代人の私たちに、彼らの死生観は遠くて羨ましい世界だ。
スー族の逸話
手元にインディアンの言葉を編集したジョセフ・ブルチャック編「それでもあなたの道を行け」めるくまーる出版がある。ジョセフ・ブルチャックはチェコ系白人で4分の1はインディアンの血が流れている。
インディアンの言葉は示唆に満ちている。
本では彼等の霊的世界が語られているが宗教的ではない。明るい自然主義が横溢していて、読んでいて素直に心が洗われる。
その中で、ジョセフ・ブルチャックが数十年前見た一シーンが心を捕らえた。
彼はサウスダコタ州ミッションのキリスト教墓地で死者の埋葬に立ち会っていた。儀式が終わると、スー族の老女が進み出て墓石の上にオレンジを1個置いた。するとすかさず、牧師がオレンジを取り除き咎めた。
「何時、死者が戻って来て、このオレンジを食べるというのですか?」
すると、会葬者のスー族の男が言った。
「魂が花の香りを嗅ぎにやって来た時に。」
それで牧師は口を閉じ、何も言えなくなった。
キリスト教には色々な宗派があり、総てがオレンジを供えたことを咎める訳ではないが、この逸話には白人とインディアンの死生観の違いが見えて面白い。
インディアンの自然観はハッとする程新鮮で心を打つ。彼等の思想では死者と生者を分けず一体視する。その辺は仏壇に食事を供える日本人の感覚に近い。やや違うのは彼等の死生観に地獄極楽がないことだ。現世での罪や善行は現世で終結し、死後の世界では真っさらに生まれ変わり、新たな人生が始まると考えている。
地獄極楽観が生まれなかったのは、彼らの社会は秩序が保たれ、凶悪事件が殆ど無かったからだ。実際、凶悪事件は白人社会のもので、近世まで彼等の社会にはあり得ないことだった。
--注、インディアンではなくネイティブ・アメリカンと呼ぶのが通例である。しかし、私に差別意識は無いので自然にインディアンと呼んでいる。
最近、緑道公園近くに住んでいる顔馴染みのおばあさんに会わない。2月頃、彼女は通りかかった私たちに声をかけ干菓子をくれた。彼女は数日間、私たちが通るのを待っていたそうだ。
お茶に使う品の良い菓子で、美味しかったので、お礼を言いたいのだが、それっきり出会わない。虫の知らせがして、何かを人に上げたりすることがある。以前、彼女は心臓が悪いと聞いていた。大過なければ良いのだが心配である。
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