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2007年3月20日 (火)

埼京線風景、砂漠に潤い。2006年4月19日

介護保険の更新が近づいた。3キロ歩いて赤羽駅近くのケアマネージャーへ書類を届けたが、介護保険証も必要とのこと。そこまでする必要はないが、再度、家まで長い道を往復して届けた。ツイていない1日の予感する。

そのまま赤羽駅から埼京線で渋谷の画材店ウエマツへ絵の具の補充に向かった。店は客が多い。絵の世界は回復基調と言われているが私は取り残されているようだ。

帰りの埼京線、すぐに新木場発各駅停車が来た。その電車なら乗り換えなしで北赤羽まで直行できる。乗り込もうとすると入口をふさぐように黒の大型ボストンバック置いてあった。私も他の客もバックを避けながら乗車した。バックには慶応義塾と金文字で大書してある。傍らに体育会系の慶応ボーイが大股広げて恥を晒していた。血気盛んな男子がだらしなく椅子に腰かけているとは情けない。

発車間際に学生風の女の子二人がアイスバーをなめながら駆け込んで来た。可愛い方は急いで食べてしまったが、太り気味の子は楽しむようにゆっくり嘗めている。電車が揺れる都度、溶けたアイスが他の客の背に落ちそうになる。新宿で席が空くとアイスの女の子たちは脱兎のごとく座席に座った。立っている老人たちなど彼女らには眼中に無いようだ。

思いやりの無い若者たちが目の前にいるのが腹立たしく、私は運転席後ろへ移動した。すると、新宿で乗り込んで来た女子高生たちに回りを囲まれた。新宿を出るとひどく揺れる箇所がある。案の定、右手の女子高生がグラリと揺れて私に触れた。彼女は非難する目で私を見た。勝手に倒れかかりながら、その目はないだろうと怒りが込み上げた。
「俺は後ろに行くから、こっちへ代われ」と厳しく言うと彼女はとまどった顔をした。私は今話題の痴漢えん罪事件が頭にあった。後ろも見ずに男ばかりの中へ移動した。

北赤羽駅で下車して駅近くの診療所へ母の申請書類を届けに向かった。厭なことばかり続く1日だと、浮間の街を暗鬱に歩いていると、傍らの安マンション2階の開け放った窓からレッスンをしている女の唄声が聞こえた。
それは「ジャーニー・ギター」で、澄み切った唄声は憂いを帯びて心に染み入る。元工場地帯の人気の無い風景を歩きながら、熱いものが胸に込み上げて来た。やっぱり人間は素晴らしい。

診療所では丁度、担当医が往診から帰ったところだった。日差しの中で申請書を渡すと「すぐに書いて提出しておきます」と担当医の優しい笑顔。更に人間らしい顔を見て私は安らいだ。かくて、最後は良い1日になった。

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