死は暗く寂しいものではない。2006年4月25日
毎朝の散歩は病院下の桜並木から緑道公園へ入るのがコースである。その桜並木の終わる辺りに酒から野菜乾物に至るまで扱う何でも屋がある。店は50前後の赤ら顔の主人が一人で切り盛りしている。時折、親らしい老夫婦が手伝っているが、妻らしき人を見た事はない。
店先でオデンや焼き鳥も商っていて酒の立ち飲みもできる。
店の前の桜並木下にベンチがあり、毎朝、腰かけて焼き鳥を肴に飲んでいる老人達の姿を見かける。母はそのような老人達に会うのを楽しみにしている。母は小さい頃から、酒好きだった父親健太郎や祖父の甚平さんに連れられて飲み屋へ出入りしていた。それで楽しそうに飲んでいる老人たちの姿が懐かしいようだ。
その店が、この10日程シャッターを下ろしたままだ。月に2度の定休を除いて、このようなことは今まで無い。もし、急用があっての休みなら張り紙がしてあるはずだ。主人は大柄で赤ら顔で太っていた。もしかすると心臓や脳血管にトラブルがあったのかもしれない。
今日も店の前を通ったが、シャッターが降りたままだった。灯火が消えた店はとても寂しい。近所に他に食品店はないので、買い物のあてにしていた主婦たちも困っていることだろう。再び開店して以前のような賑わいが戻ることを願っている。
何でも屋の降りたシャッターに死の影を感じたからかもしれない。母は緑道公園脇の墓地を見ながら、祖父の甚平さんの思い出を話した。死後の世界に思いを馳せ、懐かしい人たちに再会できると信じることが、母の死への恐れを和らげているようだ。私もまた、やがて母が逝った後、思い出をしばしば話すようになるだろう。もし、あの世で母や兄達に再会できるなら、死は暗く寂しいものでなくなる。
そのように死のことを考えながら自然公園の中を歩いていると、方々に春の花のオオイヌノフグリやシャガやタンポポが咲いていた。公園の自然は死と対照的に命溢れている。私は突然、沸き上がるような感動を覚えた。母は今朝方から体調を壊していたが、自然の中に身を置く内に次第に元気を取り戻していた。自然は本当に素晴らしい。
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