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2007年3月20日 (火)

古民家の竃の火は暖かく優しい。2006年4月27日

冷たい雨の中を散歩に出かけた。雨に濡れた新緑が美しい。殊に、ケヤキの放射状にすっくと伸びた枝々が纏う新緑の軽やかさは心を打つ。

雨の自然公園は人影がなかった。折れ曲がった緩やかな歩道を下って行くと古民家と遊水池にかかる橋がある。奥の橋は遊水池から流れ落ちるせせらぎに架かっている。橋から上手の湧水池は緑が深い。
このような静かな雨の日、私は遊水池の木蔭辺りに死者達の魂を感じる。この公園へ来るようになってから、多くの老人達に出会い、彼らは人知れず卒業して行った。その彼らの魂が、人影の消えた雨の日に湧水池の木蔭に集い、同窓会をしているように感じるのである。それは少しも怖い感覚ではない。老人達はにこやかに座っているだけで、歩道を行く私たちを優しく見守っているのである。それは私の空想の世界であるが、その感覚の後に、不思議と安らかな気持ちになる。

いつものように古民家へ寄ると、係のおじいさんが土間の竃に薪を足していた。暗い中、竃の火が暖かく優しい。
母が声をかけるとおじいさんは立ち上がり帽子を取って丁寧に挨拶をした。とても律儀な人で、彼が担当の日は、殊更トイレも土間も磨き上げたように綺麗である。
「今日は 雨は 午後からと 言っていたのに 早く降って 大変ですね」
おじいさんは竃にかけた釜の湯を汲み替えながら、たどたどしく母に話しかけた。おじいさんは病の後遺症が残っていて、話すことが不自由である。
私はいつものように座敷に上がり、ぼんやりと庭の新緑を眺めた。
土間の方から、雨の日は来客が少ない、庭のポールに、こいのぼりが上げられないのが残念、と言ったことを母とおじいさんが話している声が聞こえた。雨の古民家は別世界のように時間が止まっていた。私たちは10分程休んで辞した。おじいさんは再び帽子を取って深々とお辞儀をして私たちを見送った。

老人達の、この美しい日本の気風は何時まで残る事だろうか。老いを忌み嫌う気風が世間に横溢しているが、老いは決して悪い事ばかりではない。自分が弱くなった事で知る優しさや気遣いが、木霊のように周囲へもたらされる事を、若者達は再認識しても良いと思うのだが。

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