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2007年3月21日 (水)

母が倒れてから私は規則正しい生活になった。2006年5月14日

以前、私は朝まで仕事をして、朝刊を読みテレビニュースを見て午前9時に寝ていた。4時に寝ることも可能だったが、母が5時に掃除を始めるので、静かになる9時頃へ就寝がずれ込んでいた。昼の睡眠は効率が悪い。そのような生活を25年続け、体が壊れる寸前に母が倒れた。それで私は朝起きる生活に一挙に戻ってしまった。朝起きる生活は体に良い。母が倒れた事が私の命拾いだったと思っている。

今は朝6時半に起きる。母がベットから起き上がるのはその30分前で、様子を見に行くと、ゆつくりと身の回りの片付けをしている。起き抜けの母は筋力が萎えて腰が曲がり痛々しい。しかし、本人にプライドがあるので手伝わず黙って見ている。ただ母に「大丈夫?」とだけ聞く。母は「大丈夫よ。」と答える。それが毎朝の挨拶である。

母の体調が悪化する度、ショックだった。しかし、人はすぐに状況に順応するものだ。今、母は回復しているが、体力は3月頃の7割程で、昼間の半分はベットで過ごしている。それでも、母も私も良かった良かったと喜んでいる。それが老人と若者の回復の意味の違いかもしれない。

同年齢の友人の多くが私と同じ問題に直面している。先日も、友人の一人が倒れた母親の見舞いに九州へ帰郷した。友人一族は全員医者で、彼女は最高の医療を受けている。病気は快癒して今は何処も悪くないが、食欲がなく体力は衰退の一途を辿っている。私は病院から家庭に戻した方が良いと思ったが、面倒を見ている彼の弟の家庭に関わる事で強くは薦められない。

大病院は積極的な医療には強みを発揮するが、老人医療のような、守りの医療にはもろく弱点だらけである。彼女のケースでも、どうやって食欲を増進させるかより、更に衰弱したら点滴や栄養チューブで延命させれば良い、と教条的に考えているふしがある。

母も駒込病院での手術の後、極端な食欲不振に陥り日に日に衰弱したことがあった。その時、担当の老練な医師は母の家庭での療養を勧めた。母は見捨てられたように感じて抵抗したが、私は助言に従った。それから私は毎日母を自然公園へ連れて行った。おかげで母は人間的な生活を取り戻し、食欲も回復して今へ延命した。

老人医療はその家族が深く関わる。母は私が自由業であることが幸いしたが、母のケースを人に勧めることはできない。老人医療はそれぞれの家庭が独自に対処する他ない問題である。

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