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2007年3月22日 (木)

母が元気を取り戻したのは老いを受け入れたからだろう。2006年5月17日

今日の母は元気で、いつものように自然公園で散歩ができた。
自然公園ではカルガモが7羽程ヒナを孵していた。去年は池から池へ移動中に野良猫に食べられて、10日たらずでヒナは全滅してしまったが、今年のカルガモは学習しているかもしれない。全部育つのは無理としても、2,3羽は育って欲しい。
古民家前の田圃は田植えの最中。今年は区内の養護学校が担当している。生徒達は泥の感触が珍しくて楽しそうだ。古民家の座敷には既に田植えを終えた生徒達がごろ寝していた。この一連の風景は自然でホッとする。

母が元気を取り戻したのは老いを受け入れたからだろう。母は体調が悪くなると病院へ連れて行けと騒ぐ。私も母に同調してあちこち連れ回る。しかし、母も私も医師との煩わしい折衝の中、老いは受け入れる他ないと気付いたのである。そして、いつの間にか老いは普通の事になってしまった。
母に認知症がないことも幸いしているが、老いは受け入れてしまえば意外と楽である。それに伴って雑事が増えるが、たいした事ではない。

母は様々な原因で痛みに苦しんでいる。その正確な原因は医師にも分からない。壮年なら徹底的に原因追求をして根治治療が必要であるが、母には不要である。痛みがあれば対症療法で抑えれば良い。通常、ガンの痛みはモルヒネを使うが問題が多く、その中で深刻なのは頑固な便秘である。そこで、現在は安全なペインクリニックを使う事が増えた。これは痛みに対応する脊髄の硬膜外に弱い麻酔をして痛みを抑える療法である。

母のペインクリニックは、先週、薬剤を強くしてから色々問題が出たが、今は治まって快適のようだ。おかげで今日は元気に自然公園へ行けた。
鬱症は母自身に自覚させる事で軽減した。今日、母は会う人毎に「私、鬱症なのよ。」と嬉しそうに話していた。昔人間の母は、鬱症は小説家等がかかる高級な病気と思っているようだ。この分では一過性に終わってくれるかもしれない。

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