母がいない部屋は広く、心に穴が空いたようだ。2006年5月17日
早朝、姉が訪ねて来た。今日、母は通所リハビリへ出かける。送迎車が来るまで姉が母を散歩をさせると言うので任せた。その間に雑用を済ませて下へ降りると、母達は送迎場所に戻っていた。
送迎車はすぐに来た。係の人に母が疲れやすいことを伝えた。最近の母の疲れやすさは体だけでなく心の問題もある。老人性の鬱が少し起きているのかもしれない。対策は、無口になったら静かに休ませる事で、決して頑張れとはげましてはならない。はげまされると鬱は却ってひどくなる。
送迎車が出ると姉は帰って行った。
その後、私は母の手芸材料を買いに出た。途中、御諏訪神社へ寄ると石畳にマルハナバチが落ちていた。体つきが熊の縫いぐるみみたいで可愛い。イチゴ農家にとって、イチゴ受粉用の大切な益虫である。ハチにフーッと息をかけて暖めると手足を動かした。多分、テリトリー争いで力つきた雄だろう。彼らは大きな体に比べて異常に小ちゃな羽で、長時間ホーバリングしながら雌を待つ。だから、今の季節はあちこちで力つきた雄が地上に落ちている。「よく頑張ったな。」と声をかけると、マルハナバチは頷くように触角をしごいた。
通り道の緑道公園で、芋虫をくわえたムクドリが「ルルル」と一鳴きして嬉しそうに飛んで行った。ツツジは終わったが、ウツギが咲き始めている。一人で歩きながら、いつの間にか母の目線で周りを眺めている自分に気付いた。
昔は毎日一人で散歩をしていたが、母が倒れてからはいつも母が一緒だった。しかし、母が弱った今は一人の散歩が増えた。そのように、少しずつ生活の変化に慣れて行くのだろう。
駅高架下のビバホームで木材を買っての帰り道、小雨が降り始めた。傘はないが、濡れる程ではない。母がいると雨具は欠かせないが、一人の散歩では気楽だ。
帰宅して、母のベットや椅子に買って来た木材で手摺を付けた。このところ母の足腰が弱って心配だったが、これで暫くは安心である。
母がいないと、部屋が広く見える。一瞬、寂しさが間欠泉のように沸き上がったが、すぐに風のように消えた。昼食はあるもので済ませた。すぐに、そのような生活が日常になる。
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