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2007年3月22日 (木)

生に執着すると老いは寂しくなる。2006年5月21日

初夏のような日射しだ。明るい夏服の女の子が駅へ向かう。弾むような若さがまぶしい。
新緑の季節に反し、母の体調は下降気味だ。赤羽自然観察公園の歩行リハビリで、母は疲れたと距離を20メートル短くした。以前なら時間をかけて、元の長さに回復するように励ますのだが、もうそれはしないことにした。

以前の母と比べると、笑顔の口元が変わった。以前は歯を見せて開放的に笑っていたのに、今は笑っていても口を締めている。ただ、穏やかさがあるのが救いだ。夏の暑さで更に弱るのは仕方がないが、笑顔だけは保つて欲しい。

老親の介護は虚しい。それが終わる時を考えると寂しさがこみ上げて来る。子育てなら、一人前に成長した我が子を満足して眺められるが、母の死が残すのは思い出だけだ。
人生は夢のように思える。しかし、人生は夢のようでも素晴らしい。青空に流れる雲。驟雨の後の夕空。木々の間でさえずる小鳥。どのような人生を歩んでも、この感動は味わうことが出来る。

昼食後、静かなので見に行くと、母はテレビを点けずに腰かけたまま眠っていた。ピクリとも動かず死んでいるように見えるので、暫く眺めていると肩の辺りが少し動いたので安堵した。

母の歳は人には適当に言っているが、正確には92歳と9ケ月である。見た目は元気で、「そのお歳には見えません。」と人に褒められる。しかし、体は人並みに弱っている。
老いに例外はない。3ケ月前、赤羽自然観察公園で遠くに見っけた知り合いを大声で名前を呼んでいたのに、今は声も小さくなった。
誰にでも老いは必ずやって来る。老いを否定し、若さに執着すると、寂しい人生になる。しかし、老いをそのまま受け入れると、却って楽しくなる。

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