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2007年3月22日 (木)

人の流れが変わり商店街は消滅した。2006年5月30日

夕暮れ前、雷鳴とともに驟雨がやつて来た。下の新河岸川の水面は水しぶきで鈍く光っている。既に夏の風情。驟雨が過ぎれば洗い清められた大気が残る。
住まい下の環八が全面開通した。これで、通行量が増えると危惧していたが、それほどでもなかった。

私たちがこちらへ引っ越して来た頃、環八はこま切れで、車の通行は殆どなかった。車の通らない広い道では、ローラースケートを楽しむ若者たちもいた。その頃母は元気で、環八を渡り、向かいの公団1階の商店街へ買い物へ出かけていた。魚屋から野菜屋まであり殆どの品は間に合った。今の母や環八の様子を見ると違う世界に思える。
その商店街も、環八の通行量が増えるにつれ人の流れが変わり、今は総て廃業してしまった。商店街の跡には介護施設が開業している。
近所にはコンビニが2軒あったが、そちらも近年廃業した。コンビニ廃業の一番の原因は、北赤羽駅南北の改札口前に開業したスーパーライフである。ライフは深夜12時まで営業を続け、乗降客の殆どをダムでせき止めるように吸い取ってしまった。

先日、母の介護保険の認定が要支援2に決まった。あまり介護保険を利用していないので影響は無いと思っていたが、そうでもない。どうやらサビースの半分が受けられない様子だ。それで今日、区の出先機関へその説明を聞きに行った。

母は週一回、整形外科へヘルパーに連れて行ってもらっている。その利用時間3時間は要支援ではカバーされないのである。時間を短くすれば可能だが、それでは治療ができない。それで、不服申請をするつもりだが、不服申請すると要支援2を更に要支援1へ落とされる恐れがある、と区職員は言う。まるで脅しである。どういう事だと詰め寄ると担当の女性職員は恐縮して小さくなった。権限も責任も無い担当者を責めても仕方が無い。だが、諦めず闘うつもりだ。

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