このごろ子供の頃のことを良く思い出す。2006年5月6日
母が弱った所為か、このごろ子供の頃のことを良く思い出す。それはいつも唐突で、たとえば桐ヶ丘団地の公園の深い木立を眺めている時などに、子供の頃に眺めた風景がリアルに蘇るのである。
私の郷里の近くに榎原(よわら)という難しい地名の町がある。日南海岸にある鵜戸神宮の支社榎原神社を中心に出来た風光明媚な町で、以前、NHKの家族に乾杯でも登場していた。
私の町は大堂津という小さな漁師町で、船乗り達は年に一度、その榎原神社へ山道を越えて豊漁と安全祈願に出かけた。私も4,5歳の頃、近所の主婦達と母に連れられて10キロ程の道を歩いて参詣したことがある。途中に仏坂という峠があり、私は皆の後になつたり先になったりしながら、遠足気分でついて行った。
参道は大きな杉の並木で、朱塗りの立派な社殿が印象に深い。その杉の深い木立が、公園の木立を眺めている時、フラッシュバックするように思い浮かぶのである。そして、懐かしさが息苦しい程に溢れてくる。
しかし、それがどのようなお参りだったのか具体的には記憶にない。ただ、大勢で賑やかに繰り出す楽しいざわめきや、道をそれて山に駆け上り草花を摘んだり、沢に下って水筒で清流を汲んだりしたことが断片的に蘇るのである。今思うと、遠距離を大勢で歩いて行く、昔のお参りは家族的で楽しかった。今の乗り物を使った旅よりも、当時の徒歩の小旅行は心に残るものだったようだ。
他に長兄のことも思い出す。長兄は42歳の田舎中学教師に在任中、脳溢血で急死した。歳が離れた兄で、今生きていれば70代半ばである。長兄は勉強好きで、昭和20年代に九州大学の理科系の学部に入学した。しかし、途中からフランス文学へ転向し、流行のデカダンスに染まり、飲む打つの自堕落な生活を続けた。
結局、兄は大学を中退してしまったが、結婚を前に一念発起して通信教育で教師の資格を取り中学教師になった。兄はエリートコースを歩くものと期待されていたので、周囲の落胆は大きかったようだ。
兄は絵が好きな文学青年だった。もし存命だったら私と話が合ったと思う。兄と共に暮らしたのは子供の頃だけで、成人してからは数える程しか会っていない。もし死後の世界があるなら、その時は長兄と会ってみたいと思っている。私は既に兄の歳を二周り近く上回ってしまった。その時は、兄は老いた私を見て驚くかもしれないが。
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