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2007年3月21日 (水)

良い人になった母を見るのは却って寂しい。2006年5月6日

散歩の出がけ、エレベーターホールの隅の床タイルに1匹の蛾がじっとしていた。エレベーターを待つ間、眺めていたが微動だにしない。大きさは20ミリ程で、床タイルの色そっくりの薄茶色。複眼が青く輝き、まるで異星から来た三角翼の宇宙船のように見える。人の気配に対して微動だにしないところを見ると死期が近いのかもしれない。

自然公園で顔見知りに会った母は快活に話していた。しかし、二人だけになると無口になった。疲れていて声を出すのも大儀のようだ。最近の母の声は風邪ひきのように少し枯れていて、以前のような明るさは消えた。
以前、母が元気をなくすと私は母が反発するようなことを言った。すると母は反論し、その勢いで元気になってくれた。しかし今は、母は黙り込むだけだ。最近の母は通り過ぎる人の悪口を言わないし、テレビ出演者の悪口も言わなくなった。

帰り道。
「もう少しで仕事はうまく行くから、それまで元気にしていてね。」
と車椅子を押しながら話した。実際、周辺は私には良い方向に動いている。しかし母は「もう、十分に良くしてもらったから、いいよ。」と良い人になっていた。元気な頃の母なら、仕事がうまく行ったと話すと、高価な品を羅列して、あれも欲しいこれも欲しいと人間臭かった。俗物の母が急に良い人になったのを見るのは却って寂しい。口にはしないが、内心自分の死期が近いと感じているのかもしれない。

しかし、このまま急速に弱って行かれるのも困る。
公園からの帰り、「肝臓検査の数値はまったく正常でとこも悪くないんだ。ただ、小さな炎症の所為で一つだけ異常値が出たけど、それは気にする必要はない。」と励ますように話すと、母は幾分明るくなったように見えた。今の母には嘘をついてでも、元気づける方が良いのかもしれない。

エレベーターの13階で降りると、蛾は出がけと同じタイルの上に転がっていた。指先でそっとつつくと、転がったまま風に揺れている。どうやら命が尽きたようだ。先程まで足を踏ん張り生きていたのに、小さな生き物でも死は虚しい。

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