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2007年3月23日 (金)

残された家族は、世間に忘れられた頃から哀しみが深くなる。2006年6月7日

最近、訃報が気になる。岡田真澄のガン死が新しいところだが、数日前に葬儀の模様を報道していたのを最後に、マスコミから消えた。
次に話題になるのは、彼が残した7歳の女の子が芸能界デビューする時だろう。世間は、死んだ者をいつまでも語り続けてはいない。残された家族は、世間に忘れられ始めた頃から哀しみが深くなる。

去年、岡田真澄の食道がん手術直後の会見を生々しく覚えている。9時間にも及ぶ大手術で完璧にリンパ節廓清をして、元気に娘が成人するまで生きていたい、と彼は語っていた。しかし、1年たらずで逝ってしまうとは虚しい。もし大手術をしなかったら、彼は今も生きていたかもしれないが、これは難しい判断で専門家でも意見は分かれるだろう。

同じガン死でも老人は趣が違う。湯川秀樹夫人の訃報に、胃ガン、享年96歳とあった。ガンが見つかったのは94歳で、本人へ事実は伏せて何もしなかったようだ。それでも2年は元気だった。
私は告知する主義であるが、母の経験から考えは微妙に変化した。今は、本人に戦う気力がある時は告知するが、弱っている時は伏せた方が良いと思っている。一度、正確に病状を話しことがあるが、母は病状を気にして鬱症に陥り、病状を悪化させた。それからは母にガンの事は楽観的に話している。おかげで、見かけはかなり元気になった。

今、93歳になった母は少し惚けが入り、不必要な情報に鈍感になった。自分の肝臓ガンが再発している事も忘れている。そのように、厭な事をすぐに忘れてしまうのは高齢の徳性かもしれない。

3年前の暮れ、90歳の母は肝臓ガンの大手術から生還した。手術は成功だったが、退院した後、日に日に弱って行った。それで、私は母を元気づけようと、毎日、自然公園へ連れて行った。冬枯れの公園で、母は春に桜や草花を眺めたいと話した。そして春、満開の桜を見上げながら母は元気になった。母は希望を持つ事で、生きる力を取り戻したようだ。

自然公園への散歩は今も続けている。先日は自然公園の芦原でオオヨシキリが鳴いていた。母はその元気でにぎやかな声を聞くのをいつも楽しみにしている。
オオヨシキリは荒川の河川敷から新天地を求めて飛んで来たのだろう。だが、この数日は姿を見ない。一生懸命テリトリーを主張しても、自然公園には張り合う雄はいないし、肝心の雌もやってこない。彼は孤独感に苛まれていたのかもしれない。

---ヨシキリにはコヨシキリとオオヨシキリがいる。互いに、アシ原の下部にコヨシキリ、アシ原近辺の高木にオオヨシキリと住み分けている。自然公園のは、高木のハリエンジュで鳴いていたのでオオヨシキリである。オオヨシキリは18センチ、コヨシキリは13センチ程。鳴いている時、オオヨシキリは口の中が赤く、コヨシキリは黄色味を帯び目の上には白い眉状の斑紋があるので判別出来る。

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