子供から少年になる頃、私はトンボやカエルを殺せなくなった。2006年7月30日
散歩の行きがけ、御諏訪神社境内と母を携帯動画で撮った。CDに入れて九州の兄へ送ろうと思っている。気温は30度になったが湿度が低く過ごしやすい。いつもなら猛烈に汗が吹き出る散歩中も、すぐに汗が乾き気持ちが良い。
自然公園の炊事棟では大勢の親子連れが昼食の準備をしていた。いつもの休憩場所の椎の木陰は彼らの荷物やシートが広げられていたので、少し離れた桜の木陰で休んだ。桜の木陰はいつもなら風の抜けが悪いが、今日は涼しい風が吹き抜けて爽やかであった。
炊事に邪魔な子供達は、昼食まで捕虫網でチョウチョを追いかけていた。
「可哀想に、捕まえても死なせるだけなのに。」と母は嘆いたが、私は複雑な心境である。昔の子供たちにはトンボやカエルを捕まえては殺すのが遊びの一つだった。
しかし、私はある時期から小動物を殺せなくなった。それまでトンボやカエルがただの玩具だったのが、自分と同じ命を持つ生き物だと気付いたのである。それは私には大変なショックで、いつか自分は殺戮した罪で裁かれ地獄へ落されるのでは、と怖れた。多分、大人達から繰り返し聞いた閻魔様の話や、お寺の本堂に飾られた地獄絵の影響があったのだと思う。それは他の子供たちも同様で、皆大きくなるにつれ不要に生き物を殺さなくなった。
ただ、私が皆と少し違ってしまったのは、極端へ走ってしまう性癖による。今ではアサリやシジミの味噌汁を作るのにも抵抗がある。と言っても共に好物なので、なるべく苦しませぬように熱湯に放り込み、すぐに蓋をして成仏してくれとコンロの前で手を合わせる。
そんな風だから、魚の生き作りなどもってのほかである。以前、両側の身を削いで骨だけにした魚を水槽に泳がせて得意満面の料理人をテレビで見たが、悪趣味の極みだと許せなかった。
夕暮れになり、一段と風が冷たくなった。母はベランダ側の引き戸を閉め、夏布団をすっぽり被って寝ている。温度計を見ると24度。まるで高原の心地だ。
散歩の時撮った動画をパソコンで見た。撮っている時は夏の気温であったが、パソコンの中の半日前の出来事は遠い昔に思える。記憶はそのように、すぐに過去になってしまうのだろう。
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