献体した父の遺骨は紅型風呂敷に包んで持ち帰った。2006年8月28日
久しぶりに24年前に死んだ父の夢を見た。
前夜、NHK舞台中継で向田邦子原作の芝居「びっくり箱姉妹編」を見たが、それに父のようなダメ男が登場したからだ。芝居は改作した脚本家が悪く、出来は悪かった。
私の父は本当に何をしても中途半端で、生涯成し遂げたものは何一つなかった。その上、残したのは借金だけで、生計を支えて来たのは母である。私は小さな頃から働き続ける母の姿を目にしながら育った。
夢に出て来たのは父の遺骨である。
夢の中で、私は今年1月に急死したK先生の医院にいた。医院は何故か火葬場になっていて、2階から「焼き上がっていますから、どおぞ、お持ち下さい。」とK先生の声が聞こえた。足元を見ると骨みたいなものが転がっている。私はそれらを茶封筒に入れ、小脇に抱えて外へ出た。夢では父の骨を研究所へ届ける設定なのだが、その後は支離滅裂で、あちこち歩き回る内に夢は唐突に終わった。
父のプラモデルのような骨の関節をキコキコ動かしたこと。雨がそぼ降る裏ぶれた商店街で小さな貧しい雑貨店に寄ったこと。それらは実際の記憶の一部だが、夢の光景はすぐに薄れる。夕暮れの今はリアル感が薄れ、思い出すのが難しい。
実際には父の遺骨は見ていない。父の遺志に従い献体したので、1年後に日医大へ焼き上がった遺骨を貰いに行った。献体は父の数少ない世の中への貢献の一つである。
初夏の晴れた日だったと記憶している。大学で遺骨を受け取り紅型の風呂敷に包んだ。それをブラブラさせて千駄木の坂を下っていると、近くで小料理店をしている義兄に偶然会った。「寄って行きなさいよ。」と、義兄は誘った。断る筋合いはないので、連れられて開店前の店へ入り父の遺骨をカウンターの上に置いていた。「お父さん、お久しぶりです。」義兄は遺骨に酒を供えていた。それから二人で精進払いに酒を飲んだ。
紅型の風呂敷には祖母の遺骨も包んだ。それは1年後に急逝する長兄の手で九州へ帰って行った。母も献体することになっている。その時はその紅型に包んで我が家へ連れ帰ろうと思っている。
涼しい日が続くので、自然公園では顔馴染みの老人達と再会する。しかし、夏前と比べると驚く程減ってしまった。休んでいる間に体力が低下して、殆どは歩けなくなったようだ。入院している噂も多く聞く。老人の1年は若者の5,6年に相当するようだ。
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