うさん臭い似非自然保護者たち。 2006年9月27日
冷たい雨で自然公園はひっそりとしていた。静かな公園は落ち着く。
このところ、公園の栗を採りに来て、地面の草花を踏みつける者がいて心痛む。
管理棟近くの栗の根元には、ホトトギス、シュンラン、エビネ、と群生していたが、シュンランとエビネは殆ど全滅してしまった。これから花期を迎えるホトトギスは半分になっている。そのような不心得者は、何か収穫出来る時期にだけやって来る。
今年の春は、収穫したヨモギを幾つもの大型ポリ袋を満杯にした野草を食べる会のグループがいた。日頃、自然保護に熱心なような事を言っているのに、やっていることは違う。
先日の休日、近くの十條の住民が講師に引率されて見学に来ていた。
講師はテレビにも顔を出すちょっと名の通ったナチュラリストである。彼は紫ツユクサの群生の前で、都心でこれ程見事なものは珍しい、と説明していた。その説明はそれで良いのだか、私は我慢出来なくなって、観察者たちへ言った。
「このツユクサは6月の花盛りに根元から刈り取られてしまい、それから3ケ月かかって回復したものです。公園反対側の斜面には、8年かかって回復した自然の野草が腐葉土ごと掘り返されて、荒れ果てています。自然を愛でる気持ちがあるなら、その自然破壊の跡も見て下さい。」
傍らで聞いていたナチュラリストが言葉を添えた。
「おっしゃる通りですね。ツユクサたちは皆さんの愛で蘇ったのです。」
綺麗ごとを言う奴だ。私はすかさず反論した。
「人が手を出さなかったから、ツユクサは自力で回復出来た。いつだって、破壊するのは人間の方です。」
ナチュラリストは帽子から前髪を垂らした小太りのとっちゃん坊やみたいな男である。彼は丸い目を更に丸くして困りきっていた。
私の言葉が、観察者たちに通じたかどうかは分からない。最近、自然公園へ来ると、母も私もストレスが溜まってしまう。今は彼岸花が盛りだが、古民家土手に風雅に咲いていた彼岸花は先日の休日に総て折られてしまった。常連の老人たちは怒りを口にしていた。
帰りは桐ヶ丘を抜けた。雨が激しくなり、お昼前なのに夕暮れのように暗い。深い木立に覆われた公園は更に暗く、街灯が明るく灯っていた。「まーきれい。」母は木の間に見える明かりを眺めていた。
帰りの最後に通るこの静かな公園の道は、いつも心和ませてくれる。
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