日朝の歴史は長いスパンで見ないと、歪んでしまう。2006年9月3日
九州の知人から荷物が届いた。中身は鰹のナマリにメザシ、芋飴、ボンタンアメ、兵六餅。兵六餅は私の子供の頃からの好物である。送ってくれた人は私の好物をよく知っていて加えてくれた。兵六餅は水飴を加えた甘い餅で青海苔が入っていて香ばしい。ボンタンアメは今はキオスクやスーパーでも売っている。濃いウルトラマリーン地にボンタンが大胆に描かれたパッケージを目にした人は多いと思う。
ボンタンアメ、兵六餅は朝鮮系の飴菓子である。秀吉の朝鮮出兵のおり、彼の地から連れ帰った人達によって伝えられたものだ。南九州には、他にコレ菓子と言うのがある。コレとは高麗の訛ったものだと思う。コレ菓子は餅米や小豆の粉を甘く蒸かしたもので、カルカンはその一つである。
陶工も数多く連れて来られ、彼らが薩摩焼を起こしたことは広く知られているが、その後は知られていない。
後年、徳川政権に代わってから、連れて来られた工人は帰国を許された。しかし、帰国した者は祖国では冷遇されて貧窮を極め、その状況が伝わるにつれ帰国するものは無くなった。それは丁度、戦後の帰国推進で北朝鮮へ帰った人たちと留まった在日の人達の状況と酷似している。
今は何かと言うと差別がクローズアップされるが、江戸時代までは技術者として敬意を払われていた。中には士分に取り立てられた者も多い。靖国問題で話題のA級戦犯で獄死した東郷外相も渡来人の子孫で、彼の家は明治維新までは朴姓を名乗っていた。
二国間の歴史は長いスパンで見ないと、互いの認識は、いびつになってしまうようだ。
送って来たメザシは母の好物であったが、今は硬くて食べることができない。お昼に少し焼いて、酒、酢、醤油を混ぜたものに漬けてみた。夕刻、食べてみると、はらわたのほろ苦さが身に染みて柔らかく美味くなっていた。明日は更に柔らかくなって、母も食べられるだろう。
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