出来る時にしておかないと2度と出来ない、が高齢の母の口癖。 2006年8月6日
風はなく、地上は暑く靄っている。今日も朝から蒸し暑い。
気温よりも湿度の方が気になる。汗でシャツが肌に張り付くと熱気がこもる感じで不快である。それで最近、色々試してみて、薄手のTシャツより厚手の方が涼しいことに気付いた。Yシャツも、薄手の化繊より厚手の木綿が涼しい。どうやら、汗の吸収と発散がスムースで涼しいようだ。その対策のおかげで、大汗をかかなくなって散歩が楽になった。
昨夜、母は花火を見ないと言っていたが、腹に響くような音が聞こえ始めると見たいと言い始めた。玄関に連れて来て車椅子に座らせ、一段高い玄関前のたたきに置いて花火を見せた。花火の位置に数年前に建ったマンションが邪魔だが、大輪の打ち上げ花火は綺麗に見える。私も少し母に付き合って花火を見た。しかし、母は直ぐに疲れ、見物は10分程で切り上げベットに就いた。
内心、母は来年の花火は見ることが出来ない、と思っているようだ。と書くと深刻だが、高齢の老人には自然な発想である。
「出来る時にしておかないと、2度と出来ないから。」が日頃の母の口癖である。実際、1年後に花火見物が出来るかどうか、はなはだ心許ない。
最近母は、テレビを見ながらよく居眠りをしている。3年前のガン手術後、体力が弱っていた頃もそうであった。しかし、母は気にしていない。高齢になると「以前は元気だったのに、」と時系列的な体力変化を悩まないようだ。だから、能力を次々と失って行っても深刻にならないのだろう。「惚けることが老いの辛さを薄めている。」と、知人の医師に聞いたことがある。母は必要な部分は正常であるが、不要な部分は惚けている。最近私も、まだら惚けの良さに気付いて来た。
自然公園の老人達はすっかり姿を消し、車椅子で来るのは母のみになってしまった。猛暑の中でも散歩が出来るのは、私の長年の習慣による。私は子供の頃から持久走が得意で、1日中走り続けても、息切れ一つしなかった。上京してからも、歩いて行ける所は遠くても乗り物は使わなかった。散歩が生き甲斐で、毎日、3時間は歩いた。だから、母の散歩は私にとっては特別な行為ではなく、今までの生活の延長線上にある。
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