見る位置で幸せにも不幸にもなる。2006年10月18日
母は通所リハビリ。午後の買い物帰りの3時半に母を迎えに行った。送迎は施設でやってくれるが、任せると帰る時間帯に家にいなければならず、意外に面倒だ。私が迎えに行くのなら、時間帯にゆとりをもたせられるので楽である。
施設は東京北社会保険病院に併設された豪華な施設で、最近そのことが世間に知られ利用希望が激増した。母が行き始めた頃は4人だけで、それでやっていけるのかと心配していたが、今は30人と満杯である。施設に着くと、ゾロゾロと老人達が送迎バスへ向かっているところだった。この風景は幼稚園の送迎に似ている。
帰りはいつものように東京北社会保険病院の庭を抜けた。パンパスススキの穂は先週より増えて今が盛りだ。白いフサフサの穂が夕日に輝く様は実に可愛いい。しかし、施設の老人達はすぐ傍らにあるのに誰も知らない。帰りがけ「パンパスススキが綺麗ですよ。」と母が話しかけたが、庭に出て見た者はいなかった。
庭の椎の木の下を通ると、椎の実が芝生一面に落ちていた。しやがんで拾うと、手が届く範囲だけで掌一杯になった。通路も椎の実で覆われていて、踏みつける車輪がバリバリと音を立てた。椎の実は煎ると弾け、香ばしくほの甘くて美味しい。
帰り道、車椅子を押しながら小用のことを聞いた。「今日は沢山出たよ。」と母は嬉しそうだった。どうやら、薬の副作用ではない。原因は家と施設との生活の違いにあるようだ。明日から、施設で行っているリハビリに近いものを取り入れようと思う。
最近、大変なことが起きても、騒ぐのは始めだけで直ぐに慣れてしまう。
それは私が苦痛を感じる当事者でないからかもしれない。
母は弱ったと言え、東京北社会保険病院に緊急入院したKさんや、指扇の病院で危篤状態が続いている知人と比べると極めて元気である。人生は視点の位置で幸せにも不幸にも変化して見えるようだ。
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