人の終わりは、くすみながら重い軌跡を残す。2006年11月10日
昨日はMさんの通夜。
午前中に母の散歩を済ませて、午後、葬儀場に通夜へ行った。弔問客の大部分は顔見知りで、30年ぶりに再会した人もいる。このような場でなければ旧交を温めるのだが、それはできない。
遅くまで通夜会場の棺の傍らで、知人と故人を偲んだ。
知人の死は何度経験しても重い。帰宅しても、ズシリと疲労が残り、深夜まで何もせずにぼんやりとテレビを見ていた。
今日は午前中に告別式。
出かけるエレベーターで隣室のYさんと一緒になった。
彼は喪服を着ている私を見て驚いているので、葬式だと話した。
「今年はモモちゃんに、本屋さんのブーちゃんに、床屋さんのラッキーにと葬式ばかりで厭になります。」
Yさんと話していると、同乗のシーズーを抱いた女性が、怪訝そうに私たちを見た。
「いや、今日は人間ですけどね。」
慌てて言い直すと、女性はホッとしていた。
死者を真に悼むものであれば良いのだが、告別式は形式に流れる。
故人や参列者の意向には無関係に、支払額に対応した僧侶の長い読経を耐え、
そして、故人に花を添え別れを告げた。
私は戸田斎場へは同行せず、故人の乗る霊柩車を見送った。
昼食後、母を散歩に連れ出した。更に疲労が残っているが、明日は母のペインクリニックなので散歩は休めない。出かける時、Mさんの荼毘が終わる頃だった。母は玄関前で戸田斎場の方向へ合掌した。好天の下、遠く煙突が見えたが煙りは見えない。今は規制が厳しく、昔のように空に消える煙りを見上げる事はない。すでに総ての確執や軋轢は気体と僅かな無機物に分解されてしまった。次は否が応なく、母そして私たちへと順番は巡って来る。
桜並木で、先日亡くなったKさんの奥さんに会った。亡くなっても色々事務手続きがあって、彼女は臨終の場の東京北社会保険病院へ向かう所だった。彼女は母に慰められ、時折目頭を押さえていた。葬儀の慌ただしさに解放された今頃から、彼女は真の寂しさに捕われる。60代半ばのKさんが突然に胆管の病で倒れたのは夏の終わり。余りにも慌ただしい死であった。
散歩道の紅葉の始まった木々を照らす午後の光が美しい。同じように人生の終わりも軽やかに美しくありたいが、そうはならない。人の終わりは、くすみながら重い軌跡を残す。
写真日記 6枚掲載
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