終末期緩和ケア。2006年11月16日
明け方まで母は嘔吐を繰り返した。最後は唾液のようなものを絞り出すように吐いた。朝、母は往診を頼んで欲しいと訴えた。生協浮間診療所は9時開院。8時半に電話して看護婦に母の病状を話すと「往診は午後になりますので、何とか連れて来ていただければ、待ち時間なしで点滴ができるようにいたしますが。」と言う。
私はすぐに連れて行くことにした。母は水を飲んでも戻す状態で、点滴をしないと、脱水症状を起こしてしまう。9時に母に暖かい上着を着せて車椅子で出かけた。外は北風が強い。母は外に出ると、いつもなら快活に喋るのに押し黙ったままだった。
診療所には5,6人の患者が待っていた。私たちは真っすぐ処置室のベットへ向かった。母が横になると女医さんがすぐに診察した。医師は腹の各所を押さえて痛みはないか聞いた。痛みはないが気持ちが悪い、と母は答えていた。
すぐにブドウ糖に吐き気止めを加えた点滴が始まった。終わるまで1時間近くかかる。母は青ざめた顔で横になっていた。この表情は今まで幾度も眺めたが、今回はどれとも違う。それは治ることのない老いそのものに見えて仕方がなかった。
今までの母の元気は、ロウソクが燃え尽きる前の一瞬の輝きだったのかもしれない。一昨日、母は赤羽自然観察公園で歩き、知人と快活に喋っていた。その同じ母が、今は顔を歪め声は消え入りそうに小さい。
吐き気止めの効果が出て、母は軽い寝息を立て始めた。
点滴は1時間で終わり、吐き気止めとしてナウゼリンが2日分処方された。
「2日分を飲み終える前に、完全に嘔吐はなくなりますよ。」別れ際の医師の言葉が嬉しかった。帰宅しても嘔吐は消えていたが、食欲と疲労感の改善はない。お昼前、姉が来たので、母を頼んで買い物へ出た。薬局にビタミン入りのゼリーがあったので数個買って帰った。
お昼はほうれん草のおひたしの柔らかい部分、ひとかけらの湯豆腐、ヨーグルトに買って来たゼリーを出した。しかし、母はその殆どを残した。
最近、終末期緩和ケアのサイトを度々開く。それによると、死が近づくと味覚が変わり肉類を嫌い、大きな器に盛った食事を嫌う、とあった。
母もその通りで、ママゴトのように小さな器に少量盛りつけ、空の食器は直ぐに片付け次の料理を出す。テーブルの上に食器を並べると、母は見ただけで食欲が失せるようだ。サイトにあった例文に、母の現状が一致しているのがとても辛い。
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