母の容態は激変した。 2006年11月18日
早朝5時、ブザーが鳴った。すぐに母のベットへ駆けつけると、
「今日は、歩けなくなった。」と言って、すぐに意識が混濁した。それから、幾度も話しかけるが、殆ど反応がなく呼吸も浅い。
病院への依頼。姉兄たちへの連絡。今すべきことが、次々と頭の中を駆け巡る。
しかし、静かな表情の母を見ていると、このままそっとしておく方が良いような気もする。
6時半、ここから近い駒込に住む姉に電話を入れた。
「今日は予定があるから、後で行く。」と寝惚けた声。
「今日はいつもと違うから、今、会っておく方が良い。」と言うと、ようやくことの重大さに気付き、すぐに行くと姉は答えた。
7時、母は水が飲みたいと言う。吸い飲みを口元に近づけると、二口飲んだ。そして、母の意識は波のように押しては引いた。
7時半、体温を測るから、と話しかけると、母は意識を取り戻した。
「どれだけ」と母が聞くので36.9度だと言うと「ありがとう」と頷いて目をつぶった。
先程の電話の時、姉が「今日は予定があるから、後で行く。」と言ったことを話せば、「また、そんな馬鹿なことを言って。」と母は笑うだろうと思った。しかし、今の母にそれはできない。
8時、姉が駆けつけて来た。母への付き添いを任せ、もしもの時のことを考えた。
母は古い白菊会会員で献体することになっている。献体について厭な噂を聞く都度「解剖に関わる方総てが、いい加減なはずはない。100人の内、1人でも、誠実に医学に役立てたいと思う人がいれば、それで良い。」と母は言っていた。
8時半、生協浮間診療所へ電話を入れる。電話に出た看護婦さんに対処方法を聞くが、答えは芳しくはない。とりあえず王子病院入院の前倒しを頼み、東京北社会保険病院の急患受け付けに電話を入れた。
生協浮間診療所から、王子病院にベットの空きはないと電話が届いた。それなら、東京北社会保険病院に連れて行くと伝えると、紹介状をFAXすると言って、役に立たなかったことを詫びていた。
9時、姉に留守番を頼み、母を車椅子に乗せた。母は外気に触れ、気持ちがいいと呟いた。御諏訪神社の階段下に車椅子を止めると母は神社へ手を合わせていた。
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