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2007年4月 2日 (月)

老人のガンは何もしない方が良い場合もある。2006年11月1日

2年前の日記を読み返すと、母の弱り具合がよく分かる。
先程、小用が止まって気持ちが悪いと母は訴えていた。総量は問題ないので気にしないように言ったが、内心不安である。抱えている肝臓ガンは対症療法以外、根本的な治療は何もしない。はたしてそれで良いのか、悩みは深い。

がん手術を繰り返していた頃の日記を読み返していると、治療方法の選択への経緯がよく分かる。徹底的に検査して手を打って行く。それは教科書的な正しい医療であるが釈然としない。それは、医師の心から老いた93歳の母が欠落しているからかもしれない。
積極的に治療しても、老人は僅かな負担に耐えきれず、急速に衰弱して行くことがある。リスクを犯すより、何もせず、明るく生活してもらう方が良い場合もある。ただ、その選択の科学的な判断基準がなく、ガンを抱えた老人の家族を悩ませる。

昨日は母の通所リハビリで午後3時に買い物へ出た。
途中、桜並木脇の公園敷地の樹木がトイレ建設の為に抜かれていた。実をつけた柿の木やミズキの巨木が輪切りにされて無惨である。
人はいつも一方的に植物を傷つける。全国各地に人に祟る木があり、道路の真ん中に手をつけずに放置してあったりするが、それはささやかな植物の反撃なのだろう。

その工事現場脇を通る時、山土の匂いがした。
昔住んでいた旧居では生ゴミは総て裏庭に掘った穴に埋めていた。穴が一杯になると次の穴を掘った。穴を掘っていると山土の匂いがしたのを思い出した。
田舎育ちの私には山土の匂いは懐かしい。その頃の豊かな自然の中では、その匂いが自然破壊に繋がっている事を意識しなかったが、都会暮らしを続けた今は、奪われた命の匂いのようで、無惨に心に突き刺さる。

今日は、赤羽自然観察公園の帰り銀行へ回った。
イトーヨーカ堂前で大型犬の小次郎君に会った。お母さんに頼んで、母の車椅子横に小次郎君を座らせてもらい写真を撮った。写真は母が毎日書いている九州の兄へ出す葉書に入れる。その後、小次郎君をなでていたら、お腹もなでろと、仰向けに横になった。路上にだらしなくゴロリと仰向けになった大柄の小次郎君の姿は可愛くて可笑しい。

姉がお昼に来るので、母を赤羽駅構内に置いて、急いで銀行へ行った。
お昼前は空いている時間帯で、すぐにお金を下ろせた。僅かなお金でも、手持ちが出来るとホッとする。
緑道公園へ向かう途中、床屋さんでは奥さんが散髪をしていた。ちょっと立ち止まると奥さんは気付いて会釈をした。床屋さんからゴールデンレトリバーのラッキー君がいなくなってから立ち止まる事が少なくなった。

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