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2007年4月 3日 (火)

医師立ち会い無しで、自宅では死ねない。2006年11月20日

一人暮らしは慣れているが、話好きの母がいなくなると部屋が広く見える。
言葉を発しない生活はまずいので、帰って来ると「ただいま。」と母の部屋に声をかけ、仏壇に灯りを上げる。
仏壇横に先に逝った父や兄や祖父母たちの写真が飾ってある。母はその誰よりも長命になってしまった。だから、祖先たちに、まだ母を連れて行かないで下さいとはお願いしにくい。しかし、もう一度回復して散歩に連れ出させて欲しい、とは願う。
今回は、母は回復するだろうが、2度目は無いと覚悟している。

1日中一緒に過ごしているので、母の状態は医師よりもよく分かる。
18日朝の母は、例えると、冬山で遭難し死にかけた人に「しっかりしろ。」と声をかけ続けるのと似ていた。母は波が引くように何度も意識が遠くなり呼吸が消えかけた。命は不思議なものだ。私が何度も強く声をかけると、消えかけた命が燃え上がった。そして、駆けつけた晃子姉と一緒に力づけながら車椅子に乗せ病院へ急向した。

昨日日曜日、病室へ見舞うと母は気落ちしていた。
「朝、隣の人に挨拶したら、知らん顔だったよ。皆、惚けているみたい。」
母は小声で言った。同室の他の3人は総て認知症で話し相手にならない。これまで20回程入院しているが、総て若い人が交ざった大部屋で母は退屈しなかった。
「晃子が、皆の惚けがうつるって、心配していたよ。」と母に言うと
「あの子は馬鹿だから。」と楽しそうに笑った。
母は18日朝の状態を覚えていて、今度は死んでしまうと思ったようだ。
「土曜で晃子は休みだし、死ぬには丁度いい日かなと思った。」と母は死にかけた感じを話した。とすると、もし私が熟睡していて目覚めなかったら、母はそのまま静かに死んでいたのかもしれない。

医師立ち会い無しの自宅での死は大変に難しい。
父と祖母の時は、近所に親しくしている女医さんが住んでいて、臨終は私たちの希望通りに計らってもらえた。
現状では、診療所が開いている時間帯なら問題ないが、それ以外はお手上げだ。夜中に母が危篤状態になった時は、翌朝、診療所が開くのを待って医師を呼ぶか、死ぬ前に救急車を呼ぶか、どちらかになる。
ただし救急車の場合、駆けつけた時に既に死んでいたら変死扱いになり警察が呼ばれる。だから、殆どの人は本人の意に反し、病院に運びこまれての騒々しい死を迎えることになる。

Ma_3

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