秋の日の ヴィヨロンの ひたぶるにうら哀し 2006年11月5日
赤羽自然観察公園で老人達が餅つき大会をしていた。
皆経験者ばかりで、野外炊事棟できびきびと働いている。老人は薪割も手慣れていて、トントンパシッとリズムがあつて小気味よい。竃の火も勢い良く燃えている。料理を作るお婆さんたちの手際もテキパキとして見事。
餅つきは11時開始で、参加者の顔見知りに待つように誘われたが、私たちは用事があって先を急ぐ。多分、老人達の餅つきも手際が良いと思う。
去年暮れ、古民家で餅つきをしていたが、参加者の若者たちは杵で臼のふちを叩いてばかり。餅はつき上がる前に水っぽく冷め、参加者はこなれていない木屑入りの餅を食べるはめになった。
帰り、先日亡くなった菊池さん宅の前を通ったが、ひっそりとカーテンが閉まっていた。遠くから、母は手を合わせていた。
赤羽駅前から十條方面へ高架沿いの遊歩道を、今週水木に行われるMさんの葬儀会場の千代田赤羽南口ホールへ行ってみた。地図で高架下にあるホールを確認しておいたが、同じような駐車場が続いていて分かりにくい。ようやく、小さな立て看板を見つけ高架下の暗い駐車場の中を行くと映画のセットのようなホールがあった。
車で来る人には問題ないだろうが、歩いて行く人には暗くて寂しい場所だ。
帰り、高架下のエスニックの店で、母にもう一本マフラーを買った。真綿を荒く撚って編んだ、薄紫基調で品が良い。母はとても気に入って、昨日買った赤いマフラーを外して首に巻き、柔らかくて暖かいと喜んでいた。
更に買ったのは、今の母の弱り具合から、冬の散歩は今年が最後になりそうな予感がしたからだ。
昼食の後、昔の写真を開いていたら、70年代初頭秋に石神井公園で望遠で撮った白黒写真があった。
静かな秋の公園風景。一面の落ち葉の中のベンチに若い男女。女は白黒市松模様のミニスカートに黒のハイネックセーター。綺麗な足をきちんと揃え、笑顔で男に話しかけている。ショートカットの色白の顔が清楚である。
男はブレザー、膝上に管楽器のケース、長髪ではにかんでいるように見える。
二人の間は体一人分程の距離。まだ付き合い始めて間もないようだ。女性が二人の間にバックを置いていることに、その気持ちが良く表れている。しかし、女の笑顔には母性と少女が入り交じった優しさがある。それにとても惹かれ、見入ってしまった。
その写真は、左サイドバー写真日記の2002年3月8日〜20日に掲載。
もし、二人が健在なら50歳に近い。男は音楽大学を出たが現実の厳しさを知り、夢を捨て音楽教師へ。女は平凡な主婦として幸せな家庭。それが大抵の現実だが、実は平凡は素晴らしい。反して、夢を追っていたとしたら、結果は悲惨に終わることが多い。
秋の日の ヴィヨロンの ひたぶるにうら哀し
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